しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

老々介護の現実味

雨のせいでしょうか、昨日は、それまでの暑さから一転して、肌寒い一日となりました。

窓を全部締め切って寝たのは、随分と久しぶりのことでした。

その雨も、今日の午後3時過ぎには止んで、明るい日差しとともに、暑さも戻ってきました。


さて、93歳の父は、今年の夏もなんとか無事に乗り越えようとしています。

ただ、最近は、身体の衰えが日に日に目立つようになりました。

腰や足首の痛みで、歩行が次第に困難になりつつあります。食事も以前のように旺盛ではなくなりました。

朝も、私が何回も声掛けをしないと起きれなくなっています。

それまで当たり前のようにできていたことが、一人ではほとんどできなくなってきたのです。


明日は整形外科の病院に連れていき、土曜日にはケアマネさんの訪問が予定されています。

考えることを避けてきた「老々介護」が、次第に現実味を帯びてきました‥‥。

目頭が熱くなった理由

アマゾン「Prime Video」で、『しんがり山一證券 最後の聖戦~』(WOWOW:全6話)を視聴しました。

原作の『しんがり山一証券 最後の12人』(清武英利著:講談社+α文庫)とは異なり、

登場人物は仮名であって、ストーリーの展開も随分と異なっているように感じましたが、

幾度となく目頭が熱くなった点ではまったく一緒でした。それほど心を揺さぶられるドラマでした。


そして、書棚から、さきほどの文庫本を取り出して、パラパラとページをめくってみると、

「あとがき」で著者の清武英利さんが、次のようなことを書かれているのに改めて気が付きました。

『‥‥ここに登場する「嘉本一家」の十二人いずれも平凡なサラリーマンやOLである。

 それまでは驚くようなことをしたわけでなく、

 何事もなければ他人に知られることはなかった人びとであろう。たまたま企業敗戦という時に、

 しんがりを務めたために隠れた能力と心の中の固い芯が表れた。

 彼らの生き方はサラリーマンの人生の糸をよりあわせたようなものであって、私たちと無縁なものではない。

 言葉を変えれば、彼らの姿は苦しい時代を生きるあなたにもきっと重なっている。』


「心の中の固い芯」「苦しい時代を生きるあなたにもきっと重なっている」ですか‥。

ドラマに目頭が熱くなった理由(わけ)が、少し分かったような気がしました‥‥。

政治家としての資質とは

小雨が降り続いた一日となりました。

薄曇りなら、庭の草むしりをしようかと思っていたのですが、残念です。(実は、ホッとしています。)


さて、自民党総裁選に関して、

今日の日経新聞電子版に、「日経世論調査」の結果が、次のような内容で掲載されていました。

日本経済新聞社の緊急世論調査

 次の自民党総裁に「ふさわしい人」のトップは河野太郎規制改革相だった。

 30~40歳代を中心とする現役世代が推した。

 2位の石破茂氏は60歳以上からの支持が強みで、3位の岸田文雄氏は主婦や女性、

 高市早苗氏は内閣支持層に人気があった。誰が選ばれるかは次期衆院選の戦略と連動する。‥‥』


ところで、昨日付けの「溜池通信・不規則発言」で、「かんべえ」さんが、

次のようなことを述べられていました。

『政治家にとって「愛嬌」は、「度胸」と同じくらい重要な資質だと思います。

 政治家に限らず、人の上に立つ人はおしなべてそうですな。

 菅義偉さんは後者に恵まれていたけれども、前者があまりにも足りなかった。

 なおかつ、そのことに対して無自覚だった。

 だから名官房長官だったけど、総理としては名を成せなかった。難しいものですな。』


う~む、なるほど‥‥。そういうものですか‥。

でも、政治家に「愛嬌」を求めるのは、ちょっと酷なような気もします。

一方の「度胸」は、政治家にとって不可欠な資質だと思います。

はて、上記の世論調査に登場する自民党総裁候補者に、

「愛嬌」と「度胸」の双方の資質を兼ね備えた人物はいるのでしょうか‥?

チャンスとリスクの秤

非常に強い台風14号が近づいているからでしょうか、

こちら愛媛でも、夕方になってから、急に蒸し暑くなってきました。


さて、今日は、Yahoo!ニュースの『失敗学の研究者が見た、日本人の「ゼロリスク」信奉』

というNewsweekの配信記事が勉強になりました。

長文の配信記事の中から、印象に残った記述を次のとおり抜き出してみました。


 ・人間は何かを行う前に、「チャンス」と「リスク」を秤(はかり)に掛けて判断する。

  東京五輪では、選手が国民に感動を与えることがチャンスで、

  試合場の選手団や観客から新型コロナウイルスが広がるのがリスクである。

 ・五輪開催が失敗だったか成功だったかは、閉会式まで分からなかった。

  たまたま日本の金メダルが予想以上に多かったから、

  JNN世論調査では「開催してよかった」「どちらかといえばよかった」と思う人が61%になった。

  もしも予想以上に少なかったら、五輪はコロナ第5波の主因として失敗の烙印を押され、

  自民党は今秋の総選挙で大敗しただろう。

 ・筆者らは、20年近く「失敗学」と称して多くの失敗を分析してきた。

  そこで分かったことだが、日本人の中には感情的な「ゼロリスク」信者が多く存在する。

  ゼロリスクは「安心」とも言い換えられる。

  安心の達成レベルは人それぞれで異なり、いくら説明しても絶対に安心できない人もいる。

 ・東京五輪を中止寸前まで追い込んだ最大の力は、このゼロリスクである。

  議論は要らない、イヤなものはイヤなのである。でもこの信者を減らさないと、日本の将来は暗い。

 ・これから日本は五輪の経験を生かして、何を変革していけばよいのだろうか? 

  まずは、自分の脳の中にチャンスとリスクの秤を用意して、自分の論理で判断することが大事だろう。

  くれぐれもワイドショーであおられた話を簡単に信用して、リスクを過大評価してはいけない。

  また、議論した後で面倒になり、「何も変えない」という不作為を選ぶこともやめるべきである。


配信記事のタイトルにある「失敗学の研究者」というのは、中尾政之先生のことでしょうか?

なお、記事の中では、『「失敗学」では滑った、転んだ、忘れた、遅れたの類を

「つい、うっかり」の失敗と呼ぶが、従業員がそれで失敗しても会社は倒産しない。

一方で、想定外で発生確率は低いが、起きたら致命的になるという「まさか」の失敗もある。

「まさか」の失敗は類似事例が過去のデータにないので、グーグル検索でなく、

自分の脳で事故のシナリオを想定しないとならない。』と書かれていました。


はぃ‥、分かりました。

何事も「自分の脳の中にチャンスとリスクの秤を用意して、自分の論理で判断する」ことが大切なのですね。

「白雲愁色」の季節

『一匹のトンボが夏の終わりを告げるわけではない。一片の白雲が秋の到来を知らせるわけではない。‥』


これは、深代惇郎さんの「白雲愁色」と題した「天声人語」(昭和50年8月22日付け)の冒頭の文章で、

私のお気に入りの文章の一つです。

「白雲愁色」は、安倍仲麻呂の死を悼んだ李白の詩「明日帰らず 碧海に沈み 白雲愁色 蒼梧に満つ」

に登場する言葉で、さきほどのコラムでは、安倍仲麻呂の苦難に満ちた生涯のことも書かれていました。


今日、早朝の雨上がりの空を見上げると、北西の方角に、きれいな「鱗(うろこ)雲」が見えました。

「鱗雲」は秋の季語です。「一片の白雲」が、本格的な秋の訪れを告げているかのようでした‥‥。

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