しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「大寒」の日の雑感

「‥‥私たちも心ひとつに未知の局面を乗り切りたい。コロナ禍で3度目の春を待つ、きょう大寒である。」

今日の日経新聞一面コラム「春秋」の、最後に書かれていた文章です。


今日から、二十四節気の「大寒」(1/20~2/3)、

七十二候では、「蕗のとう花咲く」(1/20~1/24)となりました。

毎年、この時期には、リビングに置いている植物にピンクの花が咲きます。

花オンチの私にはよく分からないけど、「シャコバサボテン」という名前なのかな‥?

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お昼時に、NHKラジオ「らじる★らじる」を聴いていると、

倍賞千恵子さんが唄う「銀色の道」が流れてきました。

♬ 遠い遠い はるかな道は 冬の嵐が吹いているが

  谷間の春は 花が咲いてる

  ひとりひとり 今日もひとり 銀色のはるかな道


さぁ、二十四節気の「大寒」の次は、待ちに待った「立春」です。

春の訪れとともに、爆発的なオミクロン株による感染も、収束に向かえばいいのですが‥‥。

明るい話題に飢えています

時折、澄み切った青空が広がったのに、さほど気温は上がらず、寒い一日となりました。


さて、愛媛県は今日、新たに245人が新型コロナウイルスに感染したと発表、

昨日発表の237人を上回り、過去最多を更新しました。

また、東京都の新規感染者は7千人台、大阪府の新規感染者は6千人超の見通しで、

いずれも過去最多の見込みだそうです。


一方、金融市場に目をやれば、今日の日経平均終値は790円安の2万7467円と、

2021年8月20日以来ほぼ5カ月ぶりの安値水準となり、

昨年来安値の2万7013円に接近したとのことでした。

どうやら世界の市場が、インフレ警戒に揺れているみたいです。


う~む、まいったな‥‥。今は、気分が落ち込む話題ばかり。

思わず笑顔になりそうな、そんな明るい話題に飢えています‥‥。

危機は間近に‥

危機が間近に迫ってきました‥‥。


愛媛県は今日、新たに237人が新型コロナウイルスに感染したと発表しました。

今月14日発表の220人を上回り、過去最多となった模様です。

私が住んでいる松前町でも、警察学校でクラスターが発生したそうで、

さらに、小学四年生の孫娘が通う松山市の小学校は、今日は臨時休校となりました。


そんななか、日経新聞電子版を閲覧していると、

養老孟司、コロナ禍に見た現代人のちぐはぐさ』」というタイトルの記事に目が留まりました。

そこでは、次のようなことが書かれていました。


『‥‥コロナ禍は「現代人の人生に関する根源的な問いを、いくつか浮かび上がらせた」とみている。

 21年12月の新刊「ヒトの壁」(新潮新書)では、

 テレビ画面でさして疑問もなく並んで映し出されるコロナウイルス

 電子顕微鏡写真と人体の対比に注目した。この2つ、実際には大きさがまったく違う。

 極小のウイルスを見る精度でヒトの細胞、個人、社会を見ようとしたらどうなるか。

 「細胞ですら大き過ぎて、情報処理が完全にはできない」。

 そこに「現代人の盲点」が隠されていると考察する。

 細部を科学的に見ようとすればその分、全体は膨張する。これを「部分を見れば全体はボケる」と表現する。

 それぞれ目線が違う専門家や官僚、政治家らが集まって議論するコロナ対策の、

 ちぐはぐさの一端がそこに見いだせる。

 コロナ禍では日々発表される感染者数などの統計数字が「事実」として認識されている。

 こうした現代人の認識も「いわば神様目線である」と疑問を呈す。

 かねて「死は二人称でしかない」と述べてきた。

 一人称の「私」が死んでも、死んだ時には「私」はいない。

 三人称は「誰かの死」であって、ヒトの感情は動かない。

 二人称の「知っている人の死」だけが確実にヒトに影響を与える。

 「数字は、本来は抽象的だ。僕の周りでコロナになった人はいなかった。

 数字は自分の目で確認した『事実』ではない」と話す。‥‥』


う~む、なるほど‥‥。

「部分を見れば全体はボケる」、「現代人の認識は、いわば神様目線」、

「数字は自分の目で確認した事実ではない」ですか‥。

目からウロコの鋭いご指摘です。

「読みたい本」がまた一冊増えました。

他人が気づいていないものこそ‥

今月14日付けの「溜池通信」の特集は、「2022 年の国際情勢を読むヒント」でしたが、

記事の中でも、 ユーラシアグループの”Top Risks 2022”の解説が勉強になりました。


その第 1 位の「ゼロ・コロナ政策の失敗」についての、「かんべえ」さんの解説は次のとおりです。

『‥‥第 1 位の「ゼロ・コロナ政策の失敗」は、なるほどと思わせるものがある。

 これまで中国はほぼ完全にコロナ感染を閉じ込めてきたが、だからこそ今が困難な状況となる。

 はるかに感染力の高い変異種に対抗するために、

 より広範なロックダウンと効果の低い(mRNA 方式でない中国製の)ワクチンで立ち向かうしかない。

 ところが初期の成功体験があるし、習近平の思い入れもあるから、軌道修正ができないのである。

 来月 4 日には、北京冬季五輪の開会式が迫っている。

 北京とは目と鼻の先の天津でオミクロン株が急拡大し、全市民1400 万人への PCR 検査を決めたとか。

 大会組織委員会では、北京五輪への中国本土の観客は認める方針だが、

 チケットの販売方法がいまだに未公表というあたりから、事態の深刻さを窺い知ることができる。

 コロナ下の五輪がいかに大変かは、昨年の東京五輪で思い知らされた。

 その結果、日本では菅義偉内閣が退陣することになったが、中国で同じことはできないだろう。

 五輪の重圧は日本の比ではあるまい。

 また、今年の”Top Risks”においては、誰もが重視している「米中新冷戦」(Cold War 2.0)を

 リスクにあらず(Red Herrings)、と断じている点にイアン・ブレマー氏の「らしさ」を感じる。

 他人がリスクだと言っているものは、その時点で既に予想に折り込まれているからリスクではない。

 他人が気づいていないものこそが「リスク」となるのである。‥‥』


う~む、なるほど‥‥。

他人が気づいていないものこそが「リスク」となるのですか‥。

それにしても、「ゼロ・コロナ政策」って、本当に実現が困難なものなのですね。

なにせ、相手は目に見えないウイルスだし‥‥。


言葉が悪いかもしれませんが、なんだか私には、

中国という社会主義の国が、国民を対象に壮大な「統治の実験」をしているかのように思えてなりません。

国際社会の知見となれば別の話だけれど‥‥。

「孤独と他者への配慮」という規範

最近、アマゾンの「Prime Video」で、「孤独のグルメ」を視聴しています。

昨日までに、「Season2」の「エピソード6」までを見終えました。


大学生の頃には、西武池袋線西武新宿線の沿線に住んだことがあるので、

番組で馴染みの駅名が登場すると、当時のことが懐かしく思い出されます。

西武池袋線の「東長崎」とか西武新宿線の「沼袋」とか‥‥。


そして、井之頭五郎を演じる松重豊さんが、ご当地のグルメを美味しそうに堪能する姿を見ていると、

なんだかこちらまで幸せな気持ちになるのが、このドラマの魅力だと思います。

なるほど、人生にはこのような愉しみ方があったのですね‥‥。


そういえば、昨年末29日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。

『‥‥大みそかの番組表を眺めれば、今年も「孤独のグルメ スペシャル」が放送される。

 ひとり店に入り、思いを心の中でそっとつぶやく。孤独と他者への配慮。

 そんな規範が人びとの共感を呼ぶのか。』


「孤独と他者への配慮」という規範‥‥。

番組の人気の秘密が、少し理解できたような気がしました。