しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「秋分の日」の雑感

今日は、二十四節気の「秋分」で、秋彼岸の中日でもあります。

午前中、ご先祖さんのお墓参りをし、お線香を手向け、そして、父の一日も早い快復を祈りました‥‥。


さて、町立図書館で借りてきた『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』

(ユヴァル・ノア・ハラリ著:河出書房新社)を読了しました。以前から読みたかった本でした。

本書の中で、印象に残ったいくつかの記述を、次のとおりこの日記に書き残しておきます。


ホモ・サピエンスが世界を征服できたのは、何よりも、その比類なき言語のおかげではなかろうか。

・効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、

 あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。

・私たちとチンパンジーとの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結びつける神話という接着剤だ。

 この接着剤こそが、私たちを万物の支配者に仕立てたのだ。

・歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。

 人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。

 そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。

・「共同主観的」なものは、多くの個人の主観的意識を結ぶ

 コミュニケーション・ネットワークの中に存在する。

 たとえ一個人が信念を変えても、あるいは、死にさえしても、ほとんど影響はない。

 だが、もしそのネットワークに含まれる人の大半が死んだり、信念を変えたりしたら、

 共同主観的現象は変化したり消えたりする。

・信頼こそ、あらゆる種類の貨幣を生み出す際の原材料にほかならない。


読み終わった本書を町立図書館に返却に行き、その代わりに下巻を借りて帰りました。

町立図書館に行って書棚を眺めていると、読んでみたくなる本が次々に発見できます。

そのことが、今の私の、数少ない楽しみの一つになっています‥‥。

心配の種は尽きない

父が大腿骨頸部を骨折して2週間が経過し、

今日は経過観察のため、再び町内の某整形外科病院を受診することになりました。

施設から病院まで、車椅子での移動は困難なため、介護タクシーを利用してのストレッチャーでの移動です。


私と私の弟は病院で待ち合わせして、先生の診察に立会したのですが、

今しばらくベッドでの寝たきりの状態が続きそうです。

同席した施設の方によると、身体を動かせないため、床ずれも生じているようです。

心配の種は尽きることがありませんが、私にはどうすることもできないので、

そのことが、正直言って一番辛いです‥。

「日にち薬」とよく言われるように、時間が解決してくれるのを待つしかありません‥‥。

「折々のことば」という引用の贈り物

今日は町立図書館に行って、9月11日(日)から9月17日(土)までの、

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは9月15日(水)、倉本さおりさんの

「言葉っていうのは共有の井戸から汲(く)み出す水みたいなものだと思っている」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『本というのはそういう水のすくい方の見本集のようなものだからだろう、人と本の話をしていると、

 その人が言葉のどんな汲み上げ方に惹(ひ)かれるのか、

 その人と言葉を通わせられるかどうかが見えてくると、書評家は言う。じかにその思いを訊くよりも鮮明に。

 竹田信弥・田中佳祐「読書会の教室」に収録した座談会

 「語り合うことの楽しみ、本をめぐる冒険」での発言から。』


ところで、この「折々のことば」は、17日で連載2500回を迎えるとのことで、

16日の文化欄紙面には、鷲田さんが、2015年の連載開始から、

日々どのような思いで「ことば」と向き合っているのか、その思いについて寄稿されていました。

そのなかには、次のような印象深い記述がありました。


『ことばの暴力と無力。ことばの横暴とことばの喪失。

 一方にことばで煽る人たちがいて、もう一方にことばの前で身を退く人たちがいる。

 ことばが両端に引き裂かれていて、この国を「言霊の幸わう国」などとは口が裂けても言えない。

 戦争の足音が遠くから響いてくるなか、人びとを煽ることでことばが戦争を構成することもあれば、

 口をつぐむことで人びとを戦争へと押しやることもある。

 だからことばの無力を前にうなだれてはいられないと焦る。』


『「折々のことば」は、小さな枠のなかで、水を撒くようにことばのかけらを撒く。

 文脈をていねいにつける紙幅がなく、人によって相反する受け止め方もされよう。

 ただ、「あれっ?」とひっかかるところを大事にしている。

 一瞬意味のつかめないような表現や逆説、言外に含みや毒のあるもの。

 それらがフックとなってつぎの思考が始まればいい。

 「折々のことば」という引用の織物が、引用の贈り物になればいいなと思っている。』


はぃ、「折々のことば」という「引用の贈り物」をいただき、私はとても感謝しています‥‥。

50年という歳月

日本列島から過ぎ去った台風14号は、どうやら本格的な秋も運んできたようです。

今日は、いきなり気温がぐんと下がり、肌寒いくらいでした‥。


さて、昨日、NHKで放映された「僕の“最後の歌”を届けたい~財津和夫 TULIPラストツアー~」は、

感動的な番組でした。財津さんが感極まって涙し、歌えなくなったシーンには、私ももらい泣きしました。

テレビ画面に映る財津さんは、それ相応に年を取られたという印象です。

そして、財津さんと同じように、私も年を取りました。


チューリップはその全盛期が、ちょうど私の高校、大学時代と重なっていて、

まさに、「青春そのものを具現化した存在」と言っても過言ではありません。

「心の旅」や「夏色のおもいで」、「悲しきレイン・トレイン」などのお気に入りの曲のほかに、

私の人生の支えになった曲が、チューリップには三つあります。


その一つは、この日記で何回も触れた「サボテンの花」です。

京都で大学浪人生活を送っていた頃、「♬ この長い冬がおわるまえに 何かをみつけて生きよう

何かを信じて生きてゆこう この冬がおわるまで」という歌詞に、とても励まされました。


二つ目は、「夕陽を追いかけて」です。

大学時代、この曲を聴くたびに、「西の海岸」に沈む美しい夕陽を懐かしく思い出しました。

故郷を離れて、あらためて故郷のありがたさが理解できた曲でもあります。

加山雄三さんの「夕陽は赤く」とともに、「夕陽の名曲」だと思います。


三つ目は、「青春の影」です。

ビートルズの「The Long And Winding Road」をモチーフにしたとされるこの曲は、

チューリップの数多いヒット曲の中でも、「名曲中の名曲」だと私は思っています。

人生に終わりを告げるとき、「The Long And Winding Road」か、この曲を流してほしいというのが

家族に向けての私の願いです。(家族にまだ話したことはありませんが‥‥)


50年という歳月、これらの曲で励まし、そして支えていただき、ありがとうございました。

「50周年記念ツアー」は、来年の7月まで続くようですが、無事に終了することをお祈りしています。

豊富な知的財産から生まれるもの

身構えていた台風14号の影響もそれほどなく、無事に一日が過ぎ去ろうとしています。

時折、思い出したように強い風が吹き、雨は思っていたほどには降りませんでした。

でも、油断は大敵です‥。自然災害は何が起こるか分かりませんものね‥‥。

(午後5時過ぎから、強い風が断続的に吹くようになりました。)


さて、『知略を養う 戦争と外交の世界史』(出口治明著:かんき出版)を読了しました。

著者は、本書の「はじめに」で、次のように述べられています。

『自分の経験だけでは考えずに、戦争と条約締結の裏側で展開された人間模様を学ぶことが、

 人生の急場を救ってくれるかもしれない、そんな思いからこの本を書きました。』


このお言葉のとおりに、勉強になることが多い本でしたが、

そのなかでも、第8章の「第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約と第二次大戦時の大西洋憲章」が、

読み応えがありました。現代の紛争の火種はすべて第一次世界大戦にあるのですね‥。


そして、本書の「おわりに」で書かれていた、著者の次のような言葉も、強く印象に残った次第です。

『戦争と外交の歴史は、僕たちの人生の歴史と合わせ鏡のような関係にあるような気がします。

 財産や恋人をめぐる争い、横暴で強欲な隣人や上役との人間関係など、

 それに対応する知恵もまた、戦争と外交の歴史の中に隠されています。』


『理不尽な状況に置かれても自分を失わないタフネスは、豊富な知的財産から生まれると思います。

 換言すればそれが、最善の仲直りの仕方を導いてくれるのではないでしょうか。』