しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人生はプラスマイナスゼロ

陽射しがある間は、比較的暖かくて過ごしやすいのに、陽が傾くと急に気温が下がって肌寒く感じます‥。


さて、日経新聞文化欄で連載が続いていた、古賀信行・野村ホールディングス名誉顧問の「私の履歴書」は、

今日が最終回でした。連載の最後は、次のような文章で締めくくられていました。


『‥‥今回「私の履歴書」を書くことで、自分の半生を顧みる機会を得た。

 私はごく平凡な「田舎の子」である。

 これまで何とかやってこれたのは、多くの出会いと巡り合わせの妙のおかげである。

 その意味において、出会った多くの人に対し精いっぱいの感謝の気持ちを伝えたい。

 私のモットーは「人生最後はチャラ」である。

 苦しい時は楽しいことの前兆ととらえ、希望をもって過ごすようにしてきた。

 調子の良い時は困難に備える時と考え、むしろ不安を覚えるように努めてきた。

 結局のところ、人生はプラスマイナスゼロなのだ。

 そう考えてこれまで生きてきた。これからもそれは変わらない。』


う~む、なるほど‥‥。「結局のところ、人生はプラスマイナスゼロ」ですか‥。

私は、なかなかそのような境地に達することはできませんが、古賀さんと同じように、

周りの人に感謝の気持ちを伝えて人生を終わることができたらいいな、と思っています‥‥。


追記

スマホのアプリの再設定などがようやく峠を越したと思っていたら、

細君が今日になって、「スマホWi-Fiがつながらない」「Fire TVで画面が映らない」と言い出しました。

そのため、インターネットの契約業者に連絡して、ルーターを交換してもらうことにしました。

一難去ってまた一難‥。ドタバタ劇はまだまだ続きそうです‥‥。

スマホ相手に悪戦苦闘中です

青空が広がる時間帯が多い一日となりました。

吹く風は相変わらず冷たいものの、寒さが少し和らいだように思います。

「椿さん」も今日で終わったので、このまま暖かくなってくれればいいのですが‥‥。


さて、私は今日もスマホ相手に悪戦苦闘しています。

アプリの再設定が思うように進みません。その要因の一つが、PWを思い出せないこと‥。

(そのほか、情けないことに、指紋認証の設定には20分近くも要しました。)

このような状況なので、この二日間は、ほとんど本を開くことがありませんでした‥‥。(トホホ)

ドタバタハラハラした一日

私は、電話やショーメールはドコモのガラケーを、データ通信はケーブルモバイルを使ってきましたが、

とうとう思い切って昨日、ケーブルモバイルの機種(スマホ)に一本化することにしました。


お昼過ぎに新しいスマホをワクワクしながら受け取り、自宅に帰ってから、

セキュリティソフトの移行、各種アプリのログインIDやパスワードの再設定などに、

不器用な私は、いそいそと悪戦苦闘しながら取り組んでいました。


ちょっと疲れたので、一休みしようとしてテレビのリモコンのスイッチを入れたところ、

ジジジ‥という鈍い音がして、突然、電源が入らなくなりました。当然、画面は真っ暗のままです。

取扱説明書を見ながら、コンセントを入れたり切ったりして、祈るような気持で復旧作業をしましたが、

何回トライしても途中で電源が切れてしまいます。


こうなってくると、新しいスマホのお相手をする気持ちの余裕はまったくなくなりました。

仕方がないのでテレビの復旧作業は断念し、夕方近くになって、細君と二人で家電店へ直行です‥。

予期せぬ出費はとても痛いけれど、テレビを買い替えることに決めました。


そんなわけで、昨日は、ドタバタハラハラした一日となり、この日記を書くことができませんでした。

あぁ‥、それにしても、テレビの寿命が10年も持たないなんて‥。

(店員さんのお話によると、テレビの保証期間は5年で、ごく普通の現象とのことでした。)


次はどの家電製品が、どのタイミングで壊れるのか、小心者の私は、戦々恐々としています‥‥。

父の元気な顔を見て一安心

今日は、弟と二人で、施設に入所している父の面会に行ってきました。


職員の方に車椅子を押してもらって、二階から降りてきた父は、

髪を切り、髭も剃ってもらったようで、さっぱりした顔で、とても元気そうでした。

この様子だと、今年の4月には、無事に95歳の誕生日が迎えられそうです。

逆に、私の方が、もっとしっかりして、頑張らないといけないのかもしれません。


さて、下の左側の写真は、昨日の朝、我が家の庭にうっすらと降り積もった雪です。

右側の写真は、ピンクの可愛い花を咲かせたシャコバサボテンです。

西側の窓際で、とても寒いポジショニングなのに、この時期に律儀に花を咲かせてくれます。


そして、明日からは、伊豫豆比古命神社(いよづひこのみことじんじゃ)の

「椿まつり」(通称「椿さん」」)が始まります。

「伊代路に春を呼ぶ」とされる「椿さん」‥。

「毎年、椿さんが始まる頃が一番寒く、終わると暖かくなってくる」と言われているように、

この寒さを耐え忍べば、待ち遠しい春の足音が、すぐそこに聞こえてくるかもしれません‥‥。

印象に残った「天声人語」の記述

昨日の続きです‥。


1月16日(月)の朝日新聞一面コラム「天声人語」は、

東洋大学の「現代学生百人一首」に関連した内容でしたが、

ウクライナについて詠んだ、次のような作品も引用されていました。

ウクライナ コロナ未来の 教科書の 数行分の 激動の年」(大学院2年)

「青い空 金色(こんじき)の野の ウクライナ 描くためには 赤はいらない」(高校1年)

どちらの作品も、平和を願う気持ちが表れていて、強く印象に残りました。


そして、1月19日(木)は、加賀乙彦さんの逝去を悼む内容で、次のようなことが書かれていました。

『‥‥死とは何か。生きるとはいったい何なのか。そんな根源的な問いを投げ続けた加賀さんが逝った。

 若いころ、東京拘置所の医務技官として多くの死刑囚や無期囚と面接した。

 気づいたのは、あす死ぬかもしれない死刑囚たちが「時間をギューと凝縮」して興奮状態にあったこと。

 対照的に、無期囚は死の問題をわざと遠ざけ「無限に薄められた時間」を静かに生きていた。

 私たちの死の意識は死刑囚と無期囚の中間にあるのだろう。

 でも、ときには死刑囚のように「真剣に死と対決しておかないと、

 いざ、突然死が迫ってきた時に間に合わない」(「生と死と文学」)と加賀さんは記した。

 死は誰にも確実な未来である。

 筆者を含め多くの人は考えるのを避けがちだが、これに正面から向き合う社会の大切さを説いた。

 自伝では「なにも恐れることはない」とも語っていた。93歳。老衰だった。』


このコラムを読んで、ラ・ロシュフコー

「太陽も死もじっと見つめることはできない。」という箴言を思い出しました。

私は、追悼のコラムにこそ、コラムニスト氏の文才が表れるのではないかと、常日頃感じていますが、

今回のコラムは、心を打つ秀逸な内容ではないかと感じた次第です‥‥。