近代日本の「40年周期説」という言葉があります。
野村総合研究所の2009年のレポートでは、次のように解説されています。
『黒船来襲・開国を経て明治維新を迎えた1865年前後を起点に、
欧米列強入りを果たさんと急成長を遂げた40年後の日露戦争がちょうど1905年、
その後の40年間は昭和恐慌を経て太平洋戦争に突入し、
原爆投下と敗戦を迎えたのが1945年である。
さらに終戦から数えて40年後、
1985年はプラザ合意とバブル景気全盛の時代で、
戦後日本の経済成長が絶頂期となった時代と重なる。
これら40年毎に成長と成熟を繰り返した、歴史上ごくわずかの狭間を称して、
その周期性から40周期説と言われることがある。
前回の成長絶頂期である1985年から、ちょうど40年後が2025年となる。』
成長絶頂期である1985年は、様々な出来事があった年でした。
レポートに書かれているプラザ合意やバブル景気の外、
我が阪神タイガースが優勝し、日本航空のジャンボ機が御巣鷹山に墜落した年でもあります。
個人的な出来事としては、この年の4月に娘が誕生し、
私自身は、9月に十二指腸潰瘍で胃の切除手術をしました。
阪神タイガースの優勝の瞬間は、入院先の病院のテレビで観たことを覚えています。
この「40年周期説」は妙に説得力があって、
バブル景気の崩壊以降、確かに日本は「失われた20年」ともいわれる長期の停滞期に入り、
いまだそれを抜け切ることができないでいます。
この下り坂の状態が2025年まで続くと考えると気が滅入ります。
さて、40年周期説を家族に置き換えると、
娘は生まれてから40歳になるまで、下り坂の日本を体験することになりますが、
人生後半は明るく希望に満ちた未来が待っているということになります。
一方、1955年生まれの私は、
30年間は高度経済成長の恩恵を受けて育ち、バブル景気も体験することもできましたが、
それ以降、70歳までは下り坂の人生を歩むことになります。
やっと上り坂になる2025年以降には、
たとえ生きていたとしても、残念ながら私の余生はあまりありませんが、
1960年生まれの妻は、それまでの苦労から解放され、
娘や孫娘に大切にされつつ、きっと幸せな老後を送ることになるでしょう。
そして、東日本大震災が起きた2011年生まれの孫娘は、2025年には中学生。
その時には、数々の困難な課題を皆で乗り越えて、
世界のお手本となっている「日本という国家」が必ず実現していると信じています。