今日の日経新聞「経済教室」は、
鶴光太郎慶大教授の「エコノミクストレンド 日本は南欧化するのか?」でした。
見出しには、「国民の「公共心」がカギ 負担増は国への信頼から」という副題がついています。
記事によると、ポイントは次のようになっています。
○大きな政府の間でも財政の健全性には差
○高福祉への支持、文化的な要因も影響
○官僚たたきが政治家の手足縛るリスクも
このポイントの中で、最後の「官僚たたきが政治家の手足縛るリスクも」の記述は、
自分も地方公務員のために、贔屓目で読んでいるのかもしれませんが、
たいへん共感を覚えました。
鶴教授は、次のように述べられています。
『1990年代以降、様々な政府の失敗が明らかになり、国民の信頼は低下した。
現在も政権・政党を問わず、
「政府には無駄な支出や埋蔵金が相当ある」といった批判は根強い。
もちろん無駄の排除は重要だし、
政治は国民に代わって政府や官僚を監視する役割を求められている。
ただ、政治家による極端な霞が関・公務員バッシングは、
政府への国民の信頼を過度におとしめ、自ら手足を縛ることにはならないであろうか。
「公務員は信頼できず、政府部門には無駄があふれている」と国民が信じれば
税負担の引き上げには当然賛成しないであろうし、
機会があれば脱税や不正受給をしてやろうと思うようになっても不思議はない。
つまり、政府への信頼低下をあおることは国民の公共心を低下させることにつながりかねず、
非効率で大きな政府が温存され財政破綻につながる「南欧化」の原因にもなりかねない。』
政府・与党の政治家の先生が、民間企業では「社長」だとすれば、
官僚は「社員」に当たると思いますが、
民間企業の社長が自分の会社の社員をバッシングするのをあまり見聞きしたことがありません。
ところが、今回の某自治体職員のような飲酒に絡む不祥事などが起きると、
公務員とその自治体に対する信頼もいっぺんに吹き飛んでしまいます。
不祥事と無駄な支出とはちょっと違いますが、
いずれも国民からの信頼を無くしてしまうという点に関しては共通のものがあります。
「信を万事の本と為す」
やはりこの言葉には重みがあります。