米澤富美子慶応大学名誉教授の「私の履歴書」を毎日楽しみに読んでいます。
日経新聞で始まった連載も、今日(15日)で14回目。
14回目のタイトルは、「座る暇なく育児、研究〜通勤2時間、職場で仮眠〜」でした。
米澤教授は、1966年1月に長女を出産されたそうですが、
当時は、都会といえども今のように保育所は整備されておらず、
仕事と育児の両立は大変であったろうと想像できますが、
米澤教授の体験談には、その想像をはるかに超えたある種の「壮絶さ」があります。
以下、その部分を抜粋させていただくと、
『私は娘と娘の着替えやおむつの入った袋と論文の入った鞄(かばん)を抱え、
毎朝7時半に夫と社宅を出る。夫はバスで荻窪駅へ。
私は反対方向のバスに乗って保育ママさんの家に向かい、娘と袋を預けるのが8時半。
バスで荻窪駅に戻り、地下鉄を乗り継いで教育大のある茗荷谷まで片道2時間かかる。
〜(中略)〜
朝と逆のコースを2時間かけて戻り、娘と汚れた布おむつで重くなった袋を受け取る。
買い物もすませて帰宅するのは7時。
娘の離乳食、大人用の夕食の準備、自分の夕食、娘との入浴、
袋の中の汚れものの洗濯、翌日のための着替えとおむつの準備――。座る暇もない。
〜(中略)〜
夫の帰宅は11時すぎ。
高度経済成長期のサラリーマンだから、育児参加は最初から諦めていた。
夫と娘が眠った後やっと自分だけの時間になり
「たとえ1ページでも」と論文を読んだ。
翌朝も6時起床だから、今考えてもすごいことをしたと思う。私は27歳で若かった。』
私の娘は、当時の米澤教授と同じ27歳。
米澤教授と同じように、仕事と育児で悪戦苦闘の毎日を過ごしています。
米澤教授と違うのは、
実家が車で約20分の距離にあり、実母(私の妻です)の全面的な協力を得られること、
子育てフレンドリーな職場に勤めていること、などです。
実際、孫娘が高熱と嘔吐下痢に苦しんだ2週間は、
実母の存在と職場の理解がなければ乗り切れていなかったのではないかと思います。
少子高齢化の進展で、孫娘が社会人になる頃には、
高齢者1人を1〜2人の若者が支える社会になると予想されていますが、
今は、孫娘を4〜6人の身近な大人(両親や祖父母)が支えています。
ひょっとして、このスタイルも、
三浦展さんが「第四の消費」で述べられた「シェア」の考え方の先取りなのかな……?