しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人生とオーバーラップ

町立図書館で借りてきて、
村上春樹の小説「1Q84」(新潮社)を読み進めています。
ハードカバーについた手垢をみるにつけ、
どれほど多くの人がこの本を読んだのかと想像しています。

今、全3冊のうち、2冊目のちょうど真ん中あたりを読んでいます。
読後の感想は、全部読んでから書こうと思っていますが、
今まで読んだ中で、自分の人生とオーバーラップする記述が2箇所ありました。

その一つは、天吾が小学生時代の青豆との「別れ」を振り返る場面です。

『そのあとずいぶん長いあいだ、天吾は自分の行いを悔やむことになった。
 より正確にいえば、行いの欠如を悔やむことになった。
 その少女に向かって語るべきであった言葉を、今ではいくつも思い浮かべることができた。
 彼女に話したいこと、話さなくてはならないことが、天吾にはちゃんとあったのだ、
 またあとになって考えれば、
 彼女をどこかで呼び止めて話をするのは、それほどむずかしいことではなかった。
 うまくきっかけを見つけ、ほんのちょっとした勇気を奮い起せばよかったのだ。
 しかし天吾にはそれができなかった。そして機会は永遠に失われてしまった。』

大好きだった高校時代の彼女に、
「言えなかった一言」を今でも後悔することがありますが、
その時の自分の心境を代弁してくれているかのような文章です。
「あぁ、確かにあの日あの時、私には勇気がなかった。
 そしてその機会は、彼女の結婚によって永遠に失われてしまった。」

二つ目は、青豆が自分の部屋を出ていく場面です。

『ドアの前で最後に後ろを振り返り、もうここに戻ることはないのだと思った。
     〜(中略)〜
 「さよなら」と彼女は小さく口に出して言った。
 部屋にではなく、そこにいた自分自身に向けた別れの挨拶だった。』

京都での浪人生活に別れを告げて、
最後に予備校の寮の自分の部屋に鍵をかけた時、何故か涙が流れましたが、
あの時の涙は、自分自身に向けた「涙」だったのかもしれません。
「この部屋で一年間よく頑張った。
 お疲れ様。いろいろとありがとう。さようなら。」

海辺のカフカ」以来、
久しぶりに村上春樹の小説を読んでいますが、
「とある一節」を自分の人生とオーバーラップさせることが多くなりました。
小説のストーリーではなく、「とある一節」にです。
これも歳のせいなのかな?