最近の日銀批判については、私なりに正体不明の違和感がありました。
残念ながら、経済・金融に素人の私は、
その正体を理路整然と説明できる能力を持ち合わせていないのですが、
今日の日経新聞「大機小機」は、
私が持っている違和感の正体を、分かりやすい内容で明らかにしてくれるものでした。
「大機小機」は、ご案内のとおり短いコラムですが、
その短いコラムの中でも、
私が「なるほど」と納得した個所を、メモ代わりに残しておきたいと思います。
『「期待に働きかける」という考え方には危うさがつきまとう。
「デフレは貨幣現象」と言うが、金融政策で一時的に為替や資産価格は動かせても、
効果が実体経済に及ぶかどうかは分からない。』
『幅広い有価証券の購入の拡大など手段を選ばぬ政策は、
市場介入による価格操作に行き着く。
市場のプレーヤー化は、
最後の「貸し手」から「買い手」への、中央銀行の変質を意味する。
神の見えざる手に代わり、
中央銀行が期待や価格をコントロールできると考えるのは傲慢ではないか。』
『デフレ均衡状態の下で進む財政の悪化など
「ゆでガエル化」は見過ごせないとはいえ、
責任を専ら日銀に押し付ける中央銀行万能論は疑問だ。』
『過激な金融政策は代償を伴う。
「出口戦略はその時考える」というのはデフレ脱却への決意表明としても、
準備を怠らないのは当然だ。』
『白川方明・前日銀総裁は
首相や大臣がコロコロ代わる日本の国際社会での信認を支えてきた。
退任会見で語った「評価は歴史が行うもの」という言葉は重い。』
このことに関連して、最近の報道では、
金融政策の「レジームチェンジ」という言葉が使われています。
その意味するところは、
「さまざま資産を買い入れて金利を下げる」手法から、
「マネーの供給量も重視する」手法への転換であると理解しています。
「レジームチェンジ」の実体経済への「良し悪し」は分かりませんが、
マネーを大量に供給してデフレが脱却できるのであれば、それに越したことはありません。
ただ、神様ではない日銀に、
政府がデフレ脱却の責任を押し付けることだけは、やってほしくないと思います。