先日、この日記で、
西尾勝先生の「自治・分権再考」について書いたところ、
今日の日経新聞「地域総合面」の「時流地流」には、
『福沢諭吉の「分権論」と道州制』という題名の記事が掲載されていました。
『国権には「政権」と「治権」あり―。
福沢諭吉は明治9年11月に書いた「分権論」でこう説いた。
政権とは全国一律で行う国の仕事を指し、
法律の制定、軍事、外交、金融などを例示した。
治権は各地方ごとに実施する仕事で、道路などの建設や警察、学校、衛生を挙げている。
士族の反乱が相次いでいた時期だ。』
記事では、このように福沢諭吉の「分権論」を紹介しています。
なるほど、明治時代に「治権」とは上手な表現だなあ…と感心してしまいます。
ところが、分権を求める福沢諭吉の主張とは裏腹に、
明治政府は中央集権国家の確立にまい進し、
自治は大幅に制約されたことはご案内のとおりで、
それは戦後の日本も大なり小なり同じだったと記事は指摘しています。
そして、今日の記事のなかでも強く印象に残ったのが、次の文章です。
『福沢は「治権」の目的を
各地の事情に応じて政策の優先度を決めて「人民の幸福を謀ること」と書いている。
なぜ分権が必要なのか、分権型国家とは何なのか。
そのためには「国のかたち」をどう改めるべきなのか。
原点に戻って議論し直すしかあるまい。』
これって、西尾先生が本の中でおっしゃっていることと
ほとんど「同義」ではないでしょうか?
やはり、識者から見ると、
最近の道州制などの議論は、地に足がついていないように見えるのかもしれません。
おりもおり、
自民・公明両党は、今国会の道州制基本法案提出をめざすことを確認したとか…。
当事者が知らないままに、お見合いの話がどんどん進んでいるような…そんな感じ。
道州制の導入は、国の意図する「行政改革の終着駅」なのか、
それとも、真に「人民の幸福を謀る」分権につながるものなのか、
三位一体改革のように、「同床異夢」にならないよう気を付けたいものです。