しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

名著を読み返す

夏目漱石の「こころ」(岩波文庫)を、
何十年も経って読み返すことになるとは、自身にとっても意外でした。
そのきっかけとなったのが、
NHK(Eテレ)の「100分de名著」で、この物語が放映されたことです。

番組の視聴に合わせて、いつものようにテレビテキストを購入。
政治学者である姜尚中さんの奥深い解説を読み進めていくうちに、
「もう一度、本棚にある「こころ」を読んでみよう」という気持ちが起こりました。

テキストには、原作の再確認を促そうとする、いくつかの心に残る記述がありました。
今日は、そのうちの一つを挙げてみます。

『これはおそらくわたし(姜尚中さんのこと)が還暦を過ぎたことと
 大きく関係していると思うのですが、
 この年になると、自分の人生を人に理解してもらいたい、
 そして人に記憶してもらいたいという思いが無性にわき起こってくるのです。

 つまり、自分の生きてきた道を自分の胸一つに収めてひっそりと世を去るのではなく、
 なんらかの方法によって公的な性格のものに転換したいという欲求、というのでしょうか。
 これは自分のDNAを残したいという生物的な本能に近いのかもしれません。
 ですから、それと同じように、「先生」においても、「殉死」とはそのような思いを実現する、
 いわば「価値転轍装置」であったのでないかと思ったりするのです。』

思い起こせば、
原作を初めて読んだのは、高校生の時だったように思います。
当時、読後にどのような感想を持ったのか、今の自分に問いかけても答えは返ってきません。

「友情」や「恋愛」、そして「孤独」がどんなものであるかさえ、
当時も今も、分かっていないのですから…。

ただ思うのは、
日本文学の名著を、中学・高校の国語授業で採り上げる「意義」についてです。
例えば、今回の夏目漱石の「こころ」について、
物語の奥に秘められた作者の意図を、中学生・高校生が解読できるかどうかは別にして、
その存在を知ってもらうことに意義があるのではないでしょうか?

中学生・高校生の記憶の片隅にインブットさえできれば、
私のように、再び名著を読み返す人間がいたとして不思議ではありません。
そして、その時には、積み重ねた人生経験に応じて新たな感動が味わえる、
それこそが名著が名著である所以ではないかと思うのです。

夏目漱石『こころ』 2013年4月 (100分 de 名著)

夏目漱石『こころ』 2013年4月 (100分 de 名著)

こころ (岩波文庫)

こころ (岩波文庫)