しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

異次元の人と哲学

今月25日の溜池通信「不規則発言」において、
「かんべえ」さんが、「フォーサイト電子版」(新潮社)の
『異次元の人、「黒田日銀総裁」が考えていること』という論考について、
「すばらしく深くて知的な議論」と絶賛されていたので、私もその論考を読んでみました。

A4で4ページ弱の論考でしたが、確かに格調高いものがありました。
「かんべえ」さんが、黒田日銀総裁の哲学について、
次のように分かりやすく紹介されています。

『黒田氏の哲学の基本をなすのはカール・ポパー
 その主張とは、「社会科学の命題は、反証可能性がなければならない、
 どんな証拠を突きつけても
 その命題が間違っていることを証明できないなどという命題は、
 経験に基づく社会科学の命題たりえない」こと。
 例えば「セントラルバンカーは××でなければならない」といった信念は、
 反証可能性がないから金融政策の方針にしてはいけないということになる。』

そして、論考の原文を読んで、強く印象に残ったのが次の箇所です。

反証可能性のない命題を提供し続けてはならないその第1は政府である。
 日本経済の内部に競争を忌避する勢力が巣食っているという指摘が登場して久しい。
 既得権のようにしてこうした勢力が力を保ってきたのは、政治との癒着のゆえである。
 日本社会を絆の維持とかコミュニティの連続性とか、
 反証可能性のない命題で覆うことから日本の政治は退出すべきである。』

恥ずかしながら、「カール・ポパー」という人を初めて知りました。
さっそくウィキペディアで調べてみると、
オーストリア出身イギリスの哲学者。
 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。
 社会哲学や政治哲学にも言及した。
 純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。
 精神分析マルクス主義を批判。』と書かれています。

う〜ん、自分の知らないことが多いのには愕然とします。
と同時に、今回の論考を読んでみて、黒田日銀総裁のように、
人間は、「哲学」とそれに基づく「確信」を持つことが大切であることを実感しました。

余談ですが、「かんべえ」さんが「論考」という言葉を使われていました。
これに関連して、
私は、日経新聞「経済教室」の記事を、この日記では「論評」と書いてきました。
「論評」(内容を論じて批判すること)よりも
「論考」(論じ考察すること)の方が、適切な表現のような気がしてきました。

この点に気がついたのも今日の収穫でした。