またまた昨日の続きで恐縮です。
今日は、『「編集手帳」の文章術』を読んで、涙腺が緩んだ箇所を紹介します。
まずは、本の71ページに書かれている次の文章です。
『あの地震が起きてからというもの、涙を燃料に生きている。そんな気がする。』
東日本大震災直後の3月17日に書かれた「編集手帳」のこの文章は、
今でも忘れることはできません。
被災地の悲惨で過酷な状況を報道で目の当たりにする度、
涙を流していた自分の気持ちを代弁してくれているような文章でした。
この日の「編集手帳」は絶対忘れてはならないと思い、手帳にメモして残しています。
『一般のニュース記事を俳句とすれば、コラムは短歌です。
事実を述べた五七五では足りず、書き手の喜怒哀楽なり、人生観なり、
なにがしかの血の通った感情の七七がついてコラムになります。』
著者は、このように述べられていますが、
上記の「編集手帳」の末尾の「七七」は、まさに血の通った「七七」になっています。
次は、第4章「耳で書く」の
『「の」の付く点に功徳あり』の中の文章を紹介します。
『東京・大手町の逓信総合博物館で、福井県丸岡町の主催する
手紙文コンクールの秀作展「〈日本一短い手紙〉物語」を見た。
過去十年間の応募のなかから、二百点余りの珠玉の作品を展示している。
青竹から涼しげに垂れた短冊に、文面が筆でしたためてある。
「〈いのち〉の終わりに三日ください。母とひなかざり。
貴男(あなた)と観覧車に。子供達に茶碗蒸しを」(五十一歳・女性)
読む者の胸に響く「物語」の、人は誰もが書き手であることを
短冊の手紙が教えている。〜「編集手帳」抜粋(2003年7月5日付)』
末尾の1行は、例えば、
「人は誰もが、読む者の胸に響く「物語」の書き手であることを、
短冊の手紙が教えている。」でもいいけれども、
そう長くもないセンテンスに読点を二つも使うのが面白くなく、
「の」の下に読点を置くことで語順を入れ替えた、と著者は解説されています。
文章のテクニックにはもちろん感心しましたけれど、
むしろ「編集手帳」で紹介している「手紙」そのものに感動しました。
短い文面の中に、これほどまでに愛する人への「思い」を凝縮させた手紙を、
これまで読んだことはありません。
子供の頃、お母さんと一緒に飾った「おひなさま」
おそらくは、ご主人とデートした際に、二人で乗った「観覧車」
そして、子供さんが小さい時に、真心込めて作られた「茶碗蒸し」
作者の[人生」に思いを致し、
しばらくこのページから目を離すことができませんでした。
『読む者の胸に響く「物語」の、人は誰もが書き手である。』
名文で心を動かすコラムニストに限らず、
「言葉には力があり、誰もがその書き手になれることを痛烈に教えてくれる」
この本は、そんな本だと思います。是非一読をお薦めします。