今月27日の日経新聞「経済教室」は、とても格調高く、しかも示唆に富む内容でした。
論者は、佐々木毅・東京大学名誉教授で、
論考のタイトルは、『2013参院選−日本の針路㊤ 「ねじれ」脱出後に正念場』でした。
佐々木教授は、
日本では、「政界と国民との一種の共犯的迷走状態が続いてきた」という、
読む者が、ちょっとドキリとするような言葉を使われています。
「共犯的迷走」?
その意味するところは、次のような内容でした。
少々長くなりますが、重要な指摘と思うので、原文をそのまま引用させていただきます。
『政界は国民負担の回避にひたすら腐心して自己保身を図り、
無駄の撲滅によって問題が解決可能であるかのような議論を広めた。
同時に多くの有権者は小さな政府を擁護(負担増大を拒否)しつつ、
社会保障給付の充実を求め続けるという、
かつての高度経済成長時代の意識から抜け出ることができず、
そこに独特のなれ合い構造が成立した。
官僚制批判もそうした構造の存続を支える道具であった。
こうした議論が無意味なわけではないが、
現実直視と未来志向の政治の障害になったことは確実である。
人口構造と社会的現実を素直に考えて、
将来的には負担増と給付の削減という組み合わせが
最もあり得る基本的な選択肢であるとすれば、
このなれ合い構造は政策的な「逃亡」劇というべきものであった。』
う〜ん、参りました。私たち国民も「なれ合い構造」の共犯者だったのですね。
続いて佐々木教授は、
政界も国民も、同じ所をグルグル回り、時間を空費したことは疑う余地がないとして、
日本の民主政治は、この「逃亡」劇からの卒業を迫られていると述べられています。
佐々木教授はこの論考で、今後の政治について3つの観点から総括を試みていますが、
そのうちの1つである「負担と給付の問題」が強く印象に残りました。
『政治の質を計る一つのメルクマールは、
負担と給付という問題について有権者と政党とがどの程度リスクを賭けた、
合理的な議論を展開できるかである。
安倍政権が政治の先の根本的な混迷を打開したいというのであれば、
成長戦略と併せて、あるいは、その安定的な遂行のためにも、
負担と給付の問題に対する有権者の注意を常に喚起し続ける必要がある。
それは自助を強調する保守の重要な役割である。
その意味では消費増税の取り扱いは大きな試金石である。
成長戦略だけで全てが片付くというのであれば、
無駄撲滅で全てが片付くという話と同じ構造になる。
もし成長戦略が期待されたような成果が出ない場合には、
同じような「逃亡」劇が繰り返されることになりはしないか。』
「成長戦略が全て」では、大きなリスクを伴うことがよく理解できました。
私たち国民も、今度こそは「逃亡」しないよう、
「負担と給付の問題」から目をそらさないようにしたいものです。