「日本の歴史をよみなおす(全)」(網野善彦著:ちくま学芸文庫)を読了しました。
この本は、日経新聞「何でもランキング」で、
「日本史に夢中になれる本ランキング」の1位になっていました。
どんな本なのか興味が湧いてきたので、早速購入して読んでみることにしました。
ランキング2位以下の本を読んだことがないので、
この本を正当に評価するのは、とても難しいものがあります。
帯紙には「すべての日本人が読むに値する数少ない本です!」と紹介されていますが、
正直そこまでの評価は、私としては、ちょっとどうかな?
それでも、「目からウロコ」の記述はたくさんありました。
いくつか紹介すると、例えば次のような記述です。
・百姓は決して農民と同じ意味ではなく、
農業以外の生業を主として営む人々〜非農業民を非常に数多くふくんでいることを、
われわれはまず確認した上で、日本の社会をもう一度考えなおさなくてはならない。
・村は百姓によって構成されており、
百姓は農民であるから村は農村であるという一種の等式ができていて、
村というとすぐ農村を思い浮かべるのが日本人の常識になってしまっているが、
この思いこみはすべて捨て去って社会の実態を考えなくてはならない。
・山奥だから、あるいは離れ小島だから辺鄙だというとらえ方、
これもまったく現代流の感覚で、前近代においてはむしろ、
「離島」であるがゆえに海によってひらかれ、交通の要衝である場合はいくらでもあるし、
山奥は、思いのほか人の往来が激しい場合が多い。
う〜ん、なるほど。そういうことだったのか…。認識が甘かった…。(反省)
日本社会が、「瑞穂の国」というイメージがあるのは、
百姓イコール農民という誤った思いこみがもたらしたもので、
日本社会は実は資本主義的な社会だった、という著者の主張は、
歴史をもう一度勉強し直してみる「強い動機」になると思いました。
ちなみに、この本には、愛媛県の弓削(ゆげ)島のことも触れられています。
弓削島(瀬戸内に浮かぶ小さな島)は、田畑が少なく、
非常に貧しい荘園だと歴史家は考えてきたけれども、
著者の調査によると、15世紀頃の弓削島の塩は大量に兵庫の港に入津しており、
弓削島は中世後期にも塩の生産地として非常に有名で、
江戸時代にも、弓削島の港には遊女がいたといわれるほど賑やかだったそうです。
『われわれが今後の国際社会で生きていくため、
その中でほんとうになすべき使命を果たしていくためには、
日本の社会について正確な理解を持ち、
自らについて正確な認識を持っていなくてはなりません。』
農村を中心とした均質な日本社会像に疑義を呈してきた著者が、
本当に私たちに伝えたかったこと…。
それは、「自らについて正確な認識を持つこと」なのかもしれません。
ただ、昨日の日記でも書いたように、これが一番難しいのです。
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/07/06
- メディア: 文庫
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