「東京だヨおっ母さん」を聴くたびに、母のことを思い出します。
大学入学時に母と二人で上京した際、はとバスで東京を周遊しました。
皇居・二重橋、浅草、そして靖国神社……。
「東京だヨおっ母さん」の歌詞そのままの周遊コースでした。
母と二人だけで「観光旅行」をしたのは、
後にも先にも、このときが最初で最後となりました。
島倉千代子さんがお亡くなりになったそうです。
今の私の気持ちを代弁してくれるかのように、
今日の日経新聞「春秋」には、次のようなコラムが掲載されていました。
『伊丹十三監督の映画「お葬式」に、泣かせる場面がある。
父親が死に、親戚友人が通夜ぶるまいの酒に酔って騒ぐ。
その喧噪(けんそう)も果てた夜更け、
長女が「東京だョおっ母さん」をしみじみと歌い、踊ってみせるのだ。
久しぶりに手を引いて 親子で歩ける嬉(うれ)しさに……。
父親が好んだ曲なのだろう。子どもたちもそれを聞いて育ったのだろう。
戦後日本の数知れぬ人々が親しんだこの歌を、
親子の情愛や望郷を物語る小道具に生かした監督のセンスに感心するほかない。
そして何といっても、これを歌い続けた島倉千代子さんの
切々たるビブラートを思い起こし、心を揺さぶられるのである。
16歳でデビューし、やがて芸能生活60年になんなんとする、その人が亡くなった。
「この世の花」「からたち日記」「りんどう峠」「人生いろいろ」……。
時代の哀歓を映した曲の数々が胸をよぎる。
歌をただ歌うのではなく、どこまでも聴衆に歌いかけていく姿がまぶたに浮かぶ。
叙情あふれる高い声が耳によみがえる。〜(以下、略)〜』
「戦後日本の数知れぬ人々」の一人に、私も入っていると思います。
ただ、残念なことが一つあります。
島倉さんは、NHK紅白歌合戦に35回も出場されながら、
「東京だヨおっ母さん」を一度も歌われることはありませんでした。
この歌が選曲されなかった理由を知る術もありませんが、
一度でいいから聴いてみたかったです。