今日の産経新聞「正論」は、
猪木武徳・青山学院大学特任教授の『経済は「極論」を避け微調整で』でした。
猪木教授の論評又は論考を読んでいつも感じるのは、一節に一節に重要な意味が込められていて、
たとえ全体の文章を読まなくても、その一節を読むだけで貴重な示唆が得られるということです。
例えば、今回の論評で、その一節一節を挙げてみると、
・なにかを改革しなければならないという強迫観念は危険だ。
制度や慣行を変えて事柄がうまく解決するという「改革熱」は、益より害を生み出しやすい。
既存の体制を微調整しながら修正するのが政治の要諦だ。
過激な空論に迷わされることなく、普通の生活を送ればよいのだ。
・無用の論争癖は、思想や理論が世界を動かすという幻想を生みやすい。
「正論は常に極論にまで至らねば貫けない」という態度は、現実を理解する妨げとなる。
・経済政策の多くは、病状を診断し微調整を施しながら
病と「どうにかこうにか」付き合ってゆくよりほかないのだ。
それが自由社会での物事の進め方であろう。
・但(ただ)し、それでも歴史を知ることによって得るものは大きい。
歴史上、未来に対してほんとうに何かを為(な)した人は、
みな過去に目を向けてきたからだ。
どうでしょう?
全部を連ねて読まなくても、一節を読んだだけで十分勉強になります。
ところで、この論評で猪木教授は、
歴史の知恵から近年の中国を観察すると、
1930年代の日本と近年の中国の動きには重なるところが多いとして、
次のように述べられています。
『当時の日本の指導者の一部は、
遅参者として「世界列強」の地位を得ようと焦燥の念に駆られていた。
近年の中国も、世界経済への遅参者として、
その支配者層、特に軍部が国力の誇示を意識しすぎて、軍事的膨張を続けているように見える。
最近の中国政治に30年代の日本の動きを想起させる要素があるとすれば、
新しい年が新たな事態の進行を見る年になるかもしれないと考えてもおかしくはない』
「新しい年の新しい事態の進行」とは、一体どういうことなのでしょう?
ひょっとして、中国軍部の独走による「軍事的衝突」ということなのかな?
「歴史は繰り返す」と言います。
1930年代の「日本の動き」を勉強し直さなくてはなりません。