『丸山真男の時代〜大学・知識人・ジャーナリズム』
(竹内洋著:中公新書)を読了しました。
う〜ん、なんというか……。
いろんなことが書かれていて、結局、丸山真男は「どんな人」か、
「どんな思想」の持ち主だったのか、あまりよく理解できませんでした。
それもそのはず、著者が「あとがき」で書かれているように、
この本は、「丸山の言説を個人のものとして分析する思想研究ではなく、
丸山真男を中心にした戦後日本社会論」だっからです。
それでも、何箇所か、印象に残る記述がありましたので、
この日記に書き残しておきます。
・社会科学から哲学、文学、演劇、音楽、映画と
博雅の士丸山はサルトルとならんで、最後の「普遍的知識人」だった。
丸山は、教養人についてジョン・スチュアート・ミルをひきながら
「あらゆることについて何事かを知っており、
何事かについてはあらゆることを知っていた人」だといっている。
まさしく丸山こそがそうした最後の教養人ともいうべき存在だった。
・安保闘争後、丸山は左右両派からだけでなく、
身内からも批判の矛先をむけられた。
丸山憎しの感情は、なんといっても全学連主流派とそのシンパ知識人にもっとも大きかった。
それは、さきにふれたように安保条約改定反対闘争を
民主主義擁護のほうに切り替えたのが丸山だったと言う気持ちが強かったからである。
負け戦になると、しばしば負け戦に導いた敵を内部に探すことが生じがちだが、
その敵探しで、丸山が格好な標的になりはじめた。申し分のない標的だった。
・吉本隆明の「大衆の原像」論や「井の中の蛙」論、
つまり「井の中の蛙は、井の外に虚像を持つかぎりは、井の中にあるが、
井の外に虚像を持たなければ、井の中にあること自体が井の外とつながっている」
というナショナリズムに徹することによるインターナショナリズム論も、
1960年代後半からの「母探し」という日本文化論ブームの文脈の中で説得力をもった。
こんな風潮をにがにがしくしか感じられなかった丸山は、
「自己否定が叫ばれる時代に、祖国と民族と伝統への回帰を説く論調がめだって来た。
しばしば両者は「戦後民主主義」の告発において手をにぎりあう、と書いてある。」
私の、「丸山真男」という人物に関する知識は、
『「である」ことと「する」こと』の論文を書いた人、
左翼、新左翼の思想家・行動家に影響を与えた人、ぐらいしか持ち合わせていませんでした。
この本を読んで、戦後日本がどういう時代であったのかは、とても参考になりましたが、
丸山真男の思想・哲学は、やはり「それなりの」本を読む必要がありそうです。
なお、この本の中では、
柴田翔の「されどわれらが日々」のことも書かれていました。
大学時代に読んだ本で、とても懐かしい思いがしました。

- 作者: 竹内洋
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/11
- メディア: 新書
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