先月31日の産経新聞に、
『公務員試験も人物重視』という記事が掲載されていました。
記事の冒頭は、次のような内容でした。
『景気回復とともに企業が採用数を増やす中、
民間に流れる優秀な人材を取り込もうと、
地方自治体の職員採用試験が知識よりも人物重視の“民間型”に転換しつつある。
行政法など専門知識を問う試験を廃止して門戸を広げ、
幅広い人材を確保することが狙いだ。
試験時期も企業に合わせて前倒しした結果、
応募者数が急増するなど、顕著な効果が現れているという。』
また、記事によると、
大阪府は、平成23年度から事務職で法律や経済などの専門知識を問う試験を廃止して、
積極性や自由な発想力の有無を確かめようと、
志望動機や自己PRを記述するエントリーシートを取り入れたそうです。
「知識は後からでも身につく。試験をなくすことで多様な人材を獲得したい」
このような担当者の弁を合わせて紹介していました。
う〜ん、そういうものなのかな…?
「知識は後からでも身につく」というのは、けだし真実で、
就職後、本人の努力次第で専門知識を獲得することも十分可能だと思うのですが、
かといって、エントリーシートや面接だけで、
その人物の積極性や自由な発想を判断できるのだろうか…?と考えていたところ、
今月2日の時事通信の配信記事には、
『公務員面接試験も美人投票』という、次のような記事が紹介されていました。
『経済学者ケインズは、投資家の行動パターンとして
「自分が真に美人と思った人よりも平均的に美人と思われる人に投票する」
という例え話を示した。
この「美人投票」と同様に、現行の公務員試験の面接官は、
他の面接官が高く評価すると思われる者を高く、
そうでない者を低く評価することがある。
それは「他の面接官の評価基準の推定」という
あいまいな基準で評価に臨むことに他ならない。
結果として、多様な人材を合格させるという面接重視の意図に反して、
無難な人材、標準的な人材に高い評価を与えることになりがちだというのである。
面接を重視する試験も、
運用次第では意図しない結果を招く可能性があるということに注意する必要がある。』
これって、結構奥が深い問題だと思います。
「人物を評価する」のはとても難しいことですよね。
私は、専門知識というよりも、教養というか、リベラルアーツが、
大学時代に備わっているかどうかが、重要な評価基準だと思っています。