第一生命経済研究所が、『自分の死と大切な人の死の恐れの比較検討』という、
一目見ただけで興味を引かれるようなレポートを公表しています。
全文にはまだ目を通していませんが、
レポートの要旨には、とても示唆的なことが書かれていました。
それは次のような内容でした。
・高齢になるほど、自分の死が恐い人が減少する。
特に配偶者や子どもと死別した人は自分の死を恐いと思わない傾向があることから、
大切な人との死別が死生観に何らかの影響を与える可能性がある。
・世代性別問わず、「病気が悪化するにつれ、痛みや苦しみがあるのではないか」
「自分が死ぬと、自分はどうなるのか、どこへ行くのかということ」という不安が
死の恐れを助長させていることから、
痛みや苦しみを軽減する緩和ケアやスピリチュアルケアの拡充が課題となる。
一方、配偶者に先立たれることの恐れは不安の解消では効果があるとはいえなかった。
・大切な人と死別し、「周りの人の言葉や行動で、傷ついたり、悲しい思いをした」人は
少なくない。遺された人がどう死を受忍できるかという視点からも、
自分の死や最期をどう迎えるかを考えることが大切である。
このなかで、「自分が死ぬと、自分はどうなるのか、どこへ行くのかということ」
という不安は、子どもの頃から、そして、還暦が近くなった歳になっても、
ずっと消えることがありません。
今でも、死への漠然とした不安は、不定期に突如として訪れ、
あれこれ想像すると夜も眠れません。
そんな時にはどうするか……?
私の場合は、スイスの偉大な哲学者・ヒルティの、
『眠られぬ夜のために』に出てくる次の文章を、繰り返し読むことにしています。
『死の観念は、若い人たちにとってはたいてい恐ろしいものであるが、
正常の状態にあり、また、良心の不安がこれに加わらなければ、
死ぬ確かさが増すにつれて、こわさは失われていくものである。
その場合、死ぬことは、毎日の眠りと目覚めの過程とあまり本質的な違いのない、
一つの大きな経過的事象だと思われる。
なるほどわれわれは、この過程そのものについては信頼できる報告を一つも持たないが、
それは眠りに入る過程をだれも正確に思い浮かべることができないのと同じである。』
ヒルティが述べているような、「眠るような死」が訪れることを願いたいです。
- 作者: ヒルティ,Carl Hilty,草間平作,大和邦太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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