しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

孤立、孤独、孤高

今日12日の朝日新聞天声人語」を読んで、
「ぼっち席」という言葉があることを初めて知りました。

コラムによると、学生からは「ぼっち席」と呼ばれている
「学生食堂のテーブルに仕切り板を設けた席」をつくる大学が増えているそうです。
お向かいの視線は気にならないとか、
相席が苦になる人はこの方が落ち着ける、というのが設置の理由のようで、
要は、「1人でも座りやすい席」ということみたいです。

ぼっちとは「友達がいない、ひとりぼっちの人」を指す、すでに若者には定着した言葉で、
その言葉に込められた若者気質を、コラムでは次のように解説していました。

『ぼっちには、1人は寂しい、かわいそう、自分はなりたくない、
 といった否定的な意味合いも込められているようだ。
 1人でいることそのものより、
 友達のいない人だと周りから見られることが耐えがたい。
 それが現代の若者気質なのだという』

ここまでは、「へぇー、現代の若者気質はそんなものなのか…」と、
特に驚くほどでもなかったのですが、
公衆トイレの個室にこもって食べる「便所飯(べんじょめし)」や、
一緒に食べる相手がいないなら昼ご飯を抜くという
「ランチメート症候群」という言葉があることには、正直びっくりしました。

ちなみに、コラムの最後は、次のような一節でした。

『人目を気にする性分の人は昔からいる。突き放すようだが言いたくなる。
 当人が視線を恐れるほどには、周りは当人を見ていないのではないか、と。
 ぼっち上等、といかないものか。』

私は大学生の頃、どちらかというと『独りぼっち』でした。
東京での大学生活になかなか馴染めず、
昼ご飯も学生食堂で一人食べることが多かったように思います。
でも、さすがにトイレで食べたり、昼ご飯を抜くということはありませんでした。
そして、「独りぼっち」について、周りの目を気にすることもありませんでした。

まったくの「孤立無援」ではちょっと寂しいですが、
「孤独であること」は、決して否定的に捉える必要はないのでは?…と思っています。
コラムにいう「ほっち上等」のほかに、
私にはとても真似できないけれども、「孤高」という言葉もありますから……。