6月27日のこの日記で、
佐伯啓思・京大大学院教授の論評を取り上げ、
「脱成長戦略」のその先に明るい未来があるのか、疑問を呈したところですが、
今月11日の「溜池通信」で、「かんべえ」さんが、
「成長」がないと仮定するとどうなるかについて、分かりやすく解説されていました。
本文を引用させていただく前に、
「かんべえ」さんは、世の中には結構な数で、
「成長はもう要らない」という論者が存在すると指摘されています。
「日本経済はもう十分に成熟していて、これ以上の成長は不可能だ」
「これから先は成長よりも分配が重要だ」といったバリエーションもあるそうです。
「かんべえ」さんのこの解説を読むと、
佐伯先生も「成長はもう要らない」論者のお一人なのかもしれません。
さて、肝心の本文は、次のようなものでした。
『ゼロ成長下の経済においては、必要とされる雇用は確実に減少していく。
つまり成長なき経済においては、失業は必然的に増えていく。
「ワークシェアリング」でこれを補おうとすると、
一人あたりの収入はその分だけ低下してしまう。
ゆえに成長なき社会においては、雇用を失うか、賃金を減らすこととなり、
人々は幸せになりにくいことになる。だったら、成長はやはりあった方がいい。
今の日本経済は、確かに以前に比べれば成長力が低下しているかもしれないが、
最初からあきらめてしまうのは得策ではあるまい。』
「成長はあった方がいい」という控えめな論調ですが、
やはり私も、この考え方に親近感・親和感を覚えます。
同時に「かんべえ」さんは、
「哲学なき成長戦略」には、おのずと限界があるのでないかとも指摘されています。
「そもそもなぜ成長戦略が必要なのか」について、
私のように素朴な疑問を持っている国民に、
分かりやすく説明することが、成長戦略の策定以前に必要なのかもしれません。