しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

アゲインストの風

今月3日の産経新聞「正論」には、
雪斎先生こと櫻田淳・東洋学園大学教授の
『朝日は脱皮せねば「化石」になる』という論評が掲載されていました。

ジャーナリストの池上彰さんが、
慰安婦問題に関する記事の一部を取り消した朝日新聞報道を批判した
原稿の掲載を拒否されたとして、朝日新聞での連載中止を申し入れるなど、
同紙にとってアゲインストの風が吹いているようですが、
雪斎先生は、朝日新聞が『「普通の国」のリベラル思潮や
ハト派姿勢を体現するメディアに脱皮することを望んでいる』と述べられています。

しかし、その脱皮には、次のような2つの前提があるとして、
雪斎先生らしい格調の高い論評を展開されています。

『それは、第1に
 「日本のナショナリズムに対する盲目的な批判」の惰性から抜け出すことであり、
 第2に憲法第9条に体現される異様な戦後「平和」思潮への帰依を捨てることである。

 これらの惰性や帰依は、どれほど知的な衣装を纏(まと)おうとも、
 現実の対外政策課題を前にした「思考停止と知的怠惰」の反映に過ぎない。

 然(しか)るに、「普通の国」への動きに抵抗し続けるならば、
 そして「慰安婦虚報」を世人の誰もが納得できる体裁で総括しないならば、
 朝日新聞の「『普通の国』のリベラル・ハト派メディア」
 への脱皮は遠のくであろうし、
 そのメディアとしての「信頼性」は毀損(きそん)されたままになるであろう。

 朝日新聞にとっては、
 「慰安婦虚報」で揺れる今が、その脱皮への好機かもしれない。』

大学生の頃、少ない生活費の中からお金を捻出して朝日新聞を購読していました。
天声人語」のファンであったこともさることながら、
当時は、朝日新聞を読むことが、
大学生にとっての「知的シンボル」であったことが
購読の契機としては大きかったと思います。

「知的シンボル」であり続けるためには、
雪斎先生の言われるように、「信頼性」というものがとても大切です。
朝日新聞をめぐる一連の動きは、私にはよく理解できていないのですが、
一般論として、「健全な」マスコミの存在は民主主義には不可欠だと思います。