文庫本と言っても内容は難解・高度で、本の半分も理解できませんでした。
それでもところどころに、分かりやすくて身近な記述がありました。
・自分の死をどう考えるかは、哲学上の大問題です。
特に、自分の死に直面しながら生きるなんてことができるかどうか、
昔から盛んに議論されてきました。
ハイデガーは、「死に臨む存在」なんて言い方をしています。
人間にとって究極の可能性である死。
それをどう意識するかがその人の生の意味を決定すると考えているのです。
自分の死を意識できることこそが他の生物との違いだとも考えているようです。
・いったい、哲学はなにを否定しているのでしょうか。
やはり、自然に生きたり、考えたりすることを否定しているのだと思います。
ですから、日本に哲学がなかったからといって恥じる必要はないのです。
むしろ日本人のものの考え方の方がずっと自然だったということになりそうです。
・では、いったい哲学とはなんなのか。
哲学の根本問題は、「存在とはなにか」を問うことだ、
つまり「ありとしあらゆるもの(あるとされるあらゆるもの、
存在するものの全体)がなんであり、どういうあり方をしているのか」
を問うことだと前に申しました…〜(略)〜
・わたしはここまで、いわゆる「哲学」について、
ある一つの視点からかいつまんで紹介をしてきました。
まず、「超自然的原理」(伝統的な用語でなら、「形而上学的原理」)を立て、
それを媒介にして自然を見、自然と関わるような思考様式(つまり「形而上学」)、
これこそが「哲学」と呼ばれてきた知の本質であるということ、
その「哲学」の原点になる「超自然的原理」が、
徹底して自然のなかでものを考えるわれわれ日本人にとって
理解不可能なものであること、
こういったことから、「哲学」はわれわれ日本人にとって
縁遠いものだったと思います。
さて、恥ずかしながら、この歳になって初めて、
「形而上学」という言葉の意味が理解できました。
それだけでも、この本を読んでよかったと思います。
そして何より、
「哲学」が日本人にとって縁遠い存在であることを知って、少し安心しました。
大学生の時、一般教養で「哲学」の講座を選択しました。
授業は退屈で、試験の結果はもちろん「可」。
チンプンカンプンの「問い」に、
これまたチンプンカンプンの「答え」を書いたような記憶があります。
それ以来の哲学コンプレックス……。
これを解消するためには、もう少し「哲学」に挑戦する必要がありそうです。
- 作者: 木田元
- 出版社/メーカー: 新潮社
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