昨日に引き続いて、
懐かしいお名前を日経新聞の紙面で見つけました。
その人の名前は、作詞・作曲家で歌手でもある小椋佳さんです。
私が歳をとるはずで、小椋さんも70歳の古希になられたそうです。
紙面に掲載された写真からは、とてもお元気そうに見えます。
さて、紙面で小椋さんは、「言葉の貧困化」を憂いておられました。
記事によると、小椋さんの歌創りの原点は、「憤り」だそうです。
繊細な小椋さんの歌の数々からは想像だにできませんが、
演歌などにみられる慣用句や使い古された言葉を用いた
「振り=真似」に染まった歌に対する憤りから、歌創りを始めたとのことでした。
そして、今の若い人について、次のように述べられています。
『今の若い人は何に対しても憤りません。
社会の動きとか政治の問題とかについてもです。それは恐ろしいと思えます。
例えば、これだけ国債が大量発行されて国家財政が真っ赤っかなのに、
政治家は言葉だけで、実際は何もせず、将来世代に借財を押しつけている。
例外もいるでしょうけど、若者も近視眼的で、とりあえず苦労しない方を選ぶ。
この国の先行きはちょっと絶望的です』
さらに、この何十年かで言葉や文章が
表現の主役から裏通りに追いやられていると述べられたうえで、
次のような含蓄のあるお言葉も……。
『僕は、若い世代に対して、振りだけではなく、舞いなさいと言いたい。
「振る舞い」という言葉がありますが、「舞い」は自己表現の意味です。
最初は「振り=真似」で言葉などを身につけていきますが、それは借り物なんです。
もういちど自分で言葉の意味を考え、価値判断をしてみて、
自分の表現として使いこなし、「舞う」。
この両方ができないと、人間として生きる意味がないのではないかと思います』
『言葉を失うということは、考えなくなるということです。
人間は、言葉でものを考える。だから言葉を失うと、
思考停止状態に陥ってしまう。』
小椋さんがこのようにおっしゃると、
「言葉の貧困化」という言葉にも迫力があります。