日経新聞に連載中の葛西敬之・JR東海名誉会長「私の履歴書」を
毎日楽しみに読んでいます。
今日5日のタイトルは「毎日が学校」で、
サブタイトルは、
「畳に正座、父と論語勉強 夕食後は講話、価値判断学ぶ」でした。
記事によると、
小学生の時に「論語」で始まったお父さんとの読書会は、
高校が終わるまで続いたそうです。
また、学問と教育、歌作以外に興味のなかったお父さんは、
夕方、授業が終わるとさっさと家に帰ってきたそうで、
家族みんなで食卓を囲み、
その後はお父さんの講話を聞くのが日課になっていたとのことでした。
「物事の判断基準や、臆せずに自分の意見をいう」という葛西会長の姿勢は、
「討論会を毎日自宅でやっているような雰囲気だった。」と回想される、
家庭の食卓で身についていった、と述べられています。
ところで、私が子どもの頃の食卓はといえば、
葛西会長のご家庭のような学術的な雰囲気はなかったけれど、
父、母、弟、そして私の和やかで楽しい会話が弾んでいました。
その会話の中心には、いつも母の存在がありました。
今風の言葉で言えば、母は「名ファシリテーター」だったのかもしれません。
ただ、今現在は、そのような食卓は望むべくもありません。
父の夕食は私が父の部屋まで運び、
私は私で、一人ダイニングで黙々と食べることが多くなりました。
「どうして?」と聞かないでください。
「家族団らん」という言葉は、
我が家ではいつの間にか、ほとんど「死語」になっているのです。
食卓がそのような状態なので、弟の家族以外、来客もほとんどありません。
「千客万来」だった、母が生前の頃が、今は懐かしく思い出されます。
(今日の日記は、愚痴っぽくなってしまいました。反省しています。)