ラグビーW杯が終わった後の寂しさは、
例えば、吉田拓郎の「祭りのあと」の歌詞のような気持でもあります。
文字どおりの身近な「お祭り」は、露店もめっきり少なくなって、
最近、その高揚感がなくなってしまったけれど、
人生において、何かに夢中になれる「イベント」が終わった後には、
言い知れぬ寂しさが付きまとうのは、今も昔も変わりがありません。
そんなことを思っていたところ、
昨日の日経新聞電子版「経営者ブログ」で
鈴木幸一会長が次のような表現で、私と同じような思いを綴られていました。
『日本が出場しない試合も、
深夜、眠らずに時間を使っても後悔しない内容の試合ばかりだった。
戦いに感動し、興奮する時間が、
ワールドカップの終わりとともに消えてしまい、残念としか言いようがない。』
この文章に続いて鈴木会長は、
ラグビーの魅力の本質は、「戦いの美しさ」だとして、
次のように述べられていました。
『鍛え抜かれたたくましい筋肉の塊のような男の集団が、
厳格なルールのもとに激しくぶつかり合い、
楕円形のラグビーボールをめぐって戦う姿は感動的である。
~(略)~
現代では、戦うことが美しいといった表現については、
すぐにも叱られそうなのだが、
深夜、放映されるワールドカップ・ラグビーには、
忘れていた人間の本性から湧く
高揚した瞬間に魅せられてしまったのである。』
う~む、お上手な文章に感心することしきりです。
映画「シコふんじゃった」の冒頭、
俳優の柄本明さんが読み上げる、
ジャン・コクトーの「相撲観戦記」を彷彿とさせるものがあります。
鈴木会長のブログを読んで、ラグビーは相撲と同様、
その本質は「格闘技」であることを改めて思い知った次第です。