『侍女の物語』(マーガレット・アトウッド著:ハヤカワepi文庫)を読了しました。
どちらかというと退屈な思いで、淡々と読み進めていきました。
それが、最後の「『侍女の物語』の歴史的背景に関する注釈」という章を読んで、
この「物語」の全体像がようやく理解できるようになりました。
それまでの淡泊な思いが、吹き飛んでしまうくらいのインパクトがありました。
作者は、最後にこのような「仕掛け」を用意していたのですね。
そのほか、この小説には、短いけれどドキッとするような文章が、
至る所に散りばめられていました。たとえば、次のような文章です。
・自由には二種類あるのです、とリディア小母は言った。
したいことをする自由と、されたくないことをされない自由です。
・過去を振り返るとき、わたしたちは美しいものを思い出す。
すべてがそんなふうだったと信じたいのだ。
・裏切られる瞬間、
明らかに自分は裏切られていたのだと気づく瞬間ほど嫌なものはない。
他の人間が自分の不幸をそれほど願っていたことに気づく瞬間ほど
いやなものはない。
・オムレツを作るにはまず卵を割らなければならんのですよ、と彼は言う。
我々は社会を改善できると考えたのです。
・あらゆるものがそうであるように、自由もまた相対的なものだ。
・ちょっとした見返りさえあれば、人々はどんな環境にも慣れてしまうのだから。
そのほか、先ほどの最終章の「歴史的背景に関する注釈」でも
次のような示唆に富む文章がありました。
・我々が歴史の研究から学んだように、
どんな新しい制度も前の制度に取って代わるときに、
必ず多くの要素を取り込むのです。
・効果的な全体主義体制を作るためには、人々から奪ったものの見返りとして、
少なくとも少数の特権階級に対してある程度の特典と自由を
与えなければならないのです。
・歴史とは大いなる暗闇であり、残響に満ちております。
声は我々にも届くかもしれない。
しかし、その声の語る物語はそれが生まれてきた子宮の闇で覆われているのです。
そしてどんなに目をこらしても、
我々は必ずしもそれを我々の時代の明るい光のなかで
正確に判読できるとは限らないのです。
さて、この小説はディストピア小説で、
「聖書を字義通りに実践する宗教的独裁国家の物語である」とされています。
しかし、作家の落合恵子さんが解説されているように、
この小説に描かれていることの多くは、『「近未来」に限ることなく、
きわめて近い過去の物語として読み解くことができる』ほか、
今も世界各地で似たようなことが起きている
「リアルタイムの小説」としても読むことができそうです。
- 作者: マーガレットアトウッド,Margaret Atwood,斎藤英治
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/10/24
- メディア: 文庫
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