しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

威風堂々の談話

今日22日の産経新聞「正論」は、雪斎先生こと
櫻田淳・東洋学園大学教授の『多様な中身持った「安倍談話」に』でした。

この論評で雪斎先生は、
歴史認識」を軸とした国際政治の世界では、
第二次世界大戦の敗戦国である日本は、常に「守勢」の立場に置かれて、
村山談話」に象徴されるように、
日本は折に触れ「反省と謝罪」を要求されてきたけれども、

近代以降の対外進出の評価は、
その「場所」と「時期」に即して緻密に行われるべきあり、
「反省と謝罪」の対象として明白な検証の材料となるのは、
第一次世界大戦後の対中進出であり、
第二次世界大戦勃発前後の対東南アジア進出であるということになる、
と述べられています。

そして、日本国内にも、第二次世界大戦という
「近代以降に一度、敗けただけの対外戦争」の敗北に拠(よ)って、
近代日本の歩みそれ自体が
一つの「成功物語」である事実を否定しようとする論調があるとして、
次のように述べられています。

『しかしながら、既に述べたように、
 近代日本の対外進出が「場所」と「時期」によって多様な相貌を持つものである以上、
 こうした心理や論調に反映された「十把一絡げ」の評価は、
 却(かえ)って近代日本の歩みの意味に対する正確な理解を妨げる。
 「村山談話」における最大の瑕疵(かし)は、
 そうした「十把一絡げ」の評価を実質上、追認したことにあろう。』

う〜ん、相変わらず鋭いご指摘です。
論評の最後に雪斎先生は、戦後70年に際して、
各々の国々に対して日本が語るべき「安倍談話」の中身は、
決して同じではないと述べられていますが、
そうすると、その中身はいったいどのようなものになるのでしょうか…?
私は、さっぱり頭を働かせることができません。

ただ、今回、「イスラム国」とみられるグループの日本人殺害予告が、
安倍総理の中東歴訪の際の演説を曲解していることを一つの教訓と受け止めて、
熟慮に熟慮を重ねたうえでの
威風堂々とした「談話」にしていただきたいと願っています。