しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

楽観的な世代の私

今月6日付けの「溜池通信」の特集記事は、
『再び「テロと格差の時代」への私論』でした。

今回の特集記事も、示唆に富む記述が盛り沢山でした。
「かんべえ」さんの、「テロ」と「格差」についての結論と思われる個所は、
それぞれ次のとおりではないかと私は思います。

まず、「テロ」についての結論です。

『つまるところ「テロの時代」の心得とは、
 個人も政府も従来からの原則を曲げずに「痩せ我慢」をするということに尽きる。
 多くの人が感情に押し流されるようになれば、
 もっともわかりやすい形でテロリスト側の「思うつぼ」となってしまうのである。』

次に、「格差」については、「21世紀の資本」を取り上げ、
ビケティの議論の中核は、「相続」の部分にあるのではないかと述べられたうえで、
次のような私論を展開されています。

『つくづく「21世紀の資本」が中心テーマとして掲げているのは、
 「富の分配」であって「格差の是正」ではない。両者は似ているようで違う。
 格差という現在の経済面の不平等だけが問題なのではなくて、
 富の不均衡は長い時間をかけて価値観や社会に歪みをもたらす。
 そっちの方が、より重大で深刻なテーマであるはずだ。』

レポートを読むと、
どうやら「かんべえ」さんも私も、昭和ひとケタ世代に育てられた世代で、
「財産は個人の努力と倹約で作る」ことが当たり前の時代……。

高度成長時代のメリットを享受し、
「格差や不平等をほとんど意識しなくて済んだのは、
今から考えるまことにラッキーなことであった」とする「かんべえ」さんのご指摘は、
まことにもってそのとおりだと思います。

ところが、ビケティの議論から行くと、こんな風に楽観的でいられたのは
私のような20世紀のごくわずかな時期の世代に限られ、
戦争の記憶が遠くなるとともに、r>gという法則に導かれて、
世の中は確実に「勉強と労働では、とうてい快適で優雅な生活は得られない」
という19世紀型の社会に向かっているようです。

「人並みに真面目に生きた」という遺物しか後世に残せそうもない私は、
娘や孫娘の世代が、困難で悲観的な世代とならないよう、ただただ祈るばかりです。