吉永小百合と橋幸夫の「いつでも夢を」と
吉永小百合とマヒナ・スターズの「寒い朝」は、
私が小学校低学年の頃に流行った歌だと記憶していますが、
いまでも口ずさめますし、時々、ユーチューブで視聴することもあります。
どちらの曲も、聴くと「勇気」と「希望」が湧いてくる不思議な魅力があります。
映画でも歌われたこの二つの曲を、
今月15日の日経新聞「中外時評」で大島三緒・論説副委員長が、
『教育格差が未来を奪う〜やまぬ機会不平等の連鎖』というタイトルの論評で
取り上げていました。
「寒い朝」のことが書かれたその一節はというと、
『印象的な場面がある。
昼は働く仲間、夜はクラスメートの若者たちが学校からの帰路、
北風吹きぬく〜と「寒い朝」を合唱するのである。
これも当時、しきりに歌われた曲だ。
夜風にのって、歌声は朗々と響きわたる。
頑張れば必ず報われる、競争の機会は平等に与えられているという思いが、
そこには息づいていただろう。
昭和の青春映画に共通するメッセージでもある。』
大島副委員長によると、昭和の青春映画のメッセージである考え方、
つまり、出自に関係なく、能力と努力が到達地位を決めるという近代の基本理念を
「メリトクラシー」と呼ぶそうです。
ところが、このメリトクラシーの「競技場」のひとつである学校現場では、
親の経済力や家庭環境によって学力が左右され、
その原理原則が突き崩されていることが、
お茶の水大学の最近の実証研究で明らかになったとのことでした。
大島副委員長の論評の最後は、次のような文章で終わっていました。
そして、読み終わった後、しばらく考え込んでいた私がいました……。
『映画「いつでも夢を」は明るいだけの話ではなく、
定時制高校生への差別と偏見を描いて残酷だ。
若者たちは厳しい道を歩むのだが、
それでもなお、たゆみなく挑戦する姿に観客は熱い共感を抱いたに違いない。
人々がみな上昇移動の夢を持ち得たのはなぜか。
成長の実感と、社会的公正をたのむ情熱が、
ともに世にあった「戦後」を顧みずにいられない。』
孫娘が成長していく時代には、「上昇移動の夢」を持つことができるのか、
無性に空しくなると同時に、とても心配になってきました。