しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「無有に遊ぶ」の境地

NHKテレビテキストの『100分de名著〜荘子』を読了しました。
テキストの著者は、僧侶で作家の玄侑宗久さんです。

テキストを読んで、またひとつ自分が知らないことを発見(?)しました。
それは、荘子から広まった言葉の多さです。例えば次のようなもの…。

「寿(いのちなが)ければ恥多し」、「蝸牛角上の争い」、「胡蝶の夢」、
「朝三暮四」、「莫逆の友」、「無用の用」、「明鏡止水」など…。

う〜ん、言葉の意味するところは知っていましたが、
出典が「荘子」だとは、今の今まで知りませんでした。お恥ずかしい…。

さて、今回、テキストを読んで、一番印象に残ったのは、
「不測に立ちて無有(むう)に遊ぶ」という言葉です。

この言葉は、宗久さんが、非常に痛快だと感じている言葉で、
中国を訪れた時には、この言葉を彫った判子まで作ったそうです。
この言葉に関し、宗久さんは次のように述べられていました。

『「無有に遊ぶ」に込められた意味は、
 未来はここにはないのだから、「ないという今を遊ぶ」ということです。

 多くの人は、今日やるべきことが終わると、
 明日やるべきことをつい引き寄せてしまいます。

 「明日できることは今日やらない」という強い信念がないと、人間は休めない。
 「無有に遊ぶ」とは、忙しい現代の私たちにとっても大事な教えなのです。』

荘子の思想の面白さがもっとも鮮やかに表れるのが
「遊」というコンセプトだそうですが、
私のような凡人には、
時間と空間に縛られない「遊」という境地に達するのも、
これまた容易ではありません。

『荘子』 2015年5月 (100分 de 名著)

『荘子』 2015年5月 (100分 de 名著)