しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「副読本」としての活用を

安倍首相の戦後70年談話について検討してきた有識者懇談会が、
報告書をまとめられました。

当然のことのように、今日7日の全国紙の社説は、
そろってこの報告書に関する「論評と主張」を掲載していました。
そこで、各紙の社説の「見出し」と、
私なりに重要と思われた「主張」を、以下のように抜き出してみました。

 ・日経新聞〜「報告書の歴史観を首相談話に反映させよ」
  歴史観はひとそれぞれだが、国民意識の最大公約数にかなり近い結論ではないだろうか。
  首相は近く発表する戦後70年談話にこの見方を反映してほしい。
  未来志向はよいことだが、過去への発言が踏み込み不足では、未来への発言も色あせる。     「侵略」を自らの言葉で語ることを期待したい。

 ・朝日新聞〜「和解へのメッセージを」
  過ちを認めることは、同じ轍(てつ)を踏まないために欠かせない。
  首相自身の個人的な思いを超えて、日本国民を代表し、
  国際社会をも納得させる歴史総括にする責任が首相にはある。

 ・毎日新聞〜「「和解」に資する談話を」
  70年談話は安倍氏が個人の歴史観を披歴する場ではない。
  日本を代表する責任者の言葉だ。
  その性質を自覚し、近隣国との「和解」に資するものに仕上げるべきである。

 ・読売新聞〜「首相も「侵略」を明確に認めよ」
  子々孫々の代まで謝罪を続けることに、国民の多くが違和感を抱くのは理解できる。
  今回限りということで、けじめをつけてはどうか。
  安倍談話は、村山談話の引用など歴代内閣の見解を踏まえる間接的な表現であっても、
  「侵略」と「植民地支配」に対する心からのお詫びの気持ちが伝わる言葉を盛り込むべきである。
  あるいは、戦争で被害を受けた人々の心に響く、首相自身のお詫びの言葉を示すことだ。

 ・産経新聞〜首相は「過去の断罪」排せ
  未来へ進む土台となる歴史をめぐる表現には、英知の発揮が必要である。
  過去を一方的に断罪した村山富市首相談話は、日本の名誉と国益を損なってきた。
  その轍(てつ)を踏んではなるまい。
  首相が4月に米上下両院で行った演説は、村山談話の表現を用いずとも高い評価を得た。
  同談話を含め歴代内閣の立場を全体として引き継ぐというが、
  特定の歴史観に政府が踏み込むことは回避すべきだ。

う〜む、こうして各紙の社説を比較してみると、
産経新聞だけ論調が、ちょっと違っているような気がします。
また、読売新聞の「謝罪は今回限りで、けじめをつける」という考えも、
あり得る選択肢だと思いました。

ところで、「あなたの報告書に対する感想は…?」と問われると、
私には、確固たる「歴史観」と「歴史認識」がなくて
忸怩たるものがありますが、一つだけ「意見」があります。

「戦後70周年に当たって、わが国が取るべき具体的施策はどのようなものか」について、
報告書では「近現代史教育の強化」を挙げ、次のように提言しています。

『日本の近現代史の教育は甚だ不十分であり、
 高校、大学における近現代史教育を強化すべきだ。
 高校は近現代史の科目を新たに設け、必修科目とすることが望ましい。』

まことにおっしゃるとおりで、
私も高校生の時、日本の近現代史は時間切れになって、
まともな授業を受けた記憶がほとんどないのです。
ようやくこの歳になって、近現代史を勉強しているところです。

過去の出来事を忘れず、未来の選択を誤らないためにも、
有識者の方々の英知を結集したこの「報告書」を
是非、高校・大学の「近現代史」の「副読本」として活用してほしいものです。