しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ふたつの側面、ふたつの質

『愛と暴力の戦後とその後』(赤坂真理著:講談社現代新書)を読了しました。

本の帯紙に書かれた
「話題沸騰のベストセラー 戦後70年 今必読の日本論」
という言葉に惹かれて購入しました。

この本は、「深い思想書」なのか、それとも「単なるエッセイ」なのか?
読んでいる途中で、こんなことを考えました。

何のことを言っているのか理解不能の箇所もありましたが、
「ドキリ」とするような記述もありました。例えば、次のような記述です。

『不思議なのは、70年前後の武力を用いた「総決算」では、
 右派左派ともに「内向きの暴力」で終わる、ということだ。
 
 三島由紀夫連合赤軍
 自殺と仲間殺しはもちろん違う。
 けれど、自殺と仲間殺しこそ、大日本帝国が最後に残した評判の、
 ふたつの側面ではなかったかと、思ってみる。
 
 世界を震撼させた、帝国軍のふたつの質。
 それは、「玉砕」と「特攻」ではなかったか、と。』

『大人たちは、物理的な暴力に目を光らせるあまり、
 言葉の暴力の危険性などには、認識が甘すぎるとも思う。
 自分たちがスマホなどの通信依存になったりするわりには、
 そのことにあまりに無自覚だ。

 あれは言葉だから安全なのではない。
 「むき出しの言葉」だからこそ、人を依存に陥らせるほどの呪力があり、
 依存性のあるものは、致死性もある。

 個人の内的世界の多くは言葉でできており、
 そこに加えられる直接攻撃は、個人を簡単に殺すことができる。』

『「戦後」の日本には、ある大きなよじれがあった。
 政治は右翼的でありながら、言論や教育は左翼的だった。
 前者に自民党、後者に日教組をあてはめてみると、
 いちばんわかりやすいかもしれない。

 だから、平和や反戦が至上の美質のように語られる一方で、
 政治は対米従属、ひらたくいえばアメリカに承認されればよし、
 さもなくば押さえつけられる、ということを繰り返してきた。』

この本を理解するためには、
まだまだ私の「思考力」や「洞察力」は、足りないのかもしれません。
もっと勉強してから、再読に挑戦することにします。

さて、今しがた、
ツクツクボーシの鳴き声のもと、「送り火」を焚きました。
これで今年のお盆の行事はすべて終了です。