昨日17日の、お盆休み明けの出勤は、
そこはかとなく気分の重たいものがありました。
その際の言いようのない私の気持ちを、
今日18日の朝日新聞「天声人語」は、お見事に代弁してくれていました。
『お盆休みが明けて、きのうから仕事に戻った方もあろう。
月曜の通勤は、誰もどこか浮かないふうだ。そのうえ各地で雨だった。
〈傘の柄を握れば傘が連れてゆく眠りたりない駅までの路〉秋場葉子。
スイッチが入らず、握った傘に引かれるように歩く物憂さも、月曜の朝はひとしおだ。
夜明けを待たずとも、日曜の夜に
「月曜の朝」が忍び寄ってくるメランコリーは勤め人の一人として分かる。』
このなかでも、
『夜明けを待たずとも、日曜の夜に
「月曜の朝」が忍び寄ってくるメランコリー』という表現は、
文才のない私には、とても思いつかないような文章ですが、
勤め人なら誰しも味わう「憂うつ」を的確に表していると思います。
このように、月曜日の気分は重かったものの、
お盆休み明けの気候は、明らかに変化したと感じます。
はっきりとは言えないけれど、それは「風」でしょうか?
生温かい空気であれほど夜は寝苦しかったのに、
明け方にそよぐ微風に「秋の気配」を感じるようになりました。
暦のうえでは既に「秋」ですが、
身体に感じる「夏」も、ようやく過ぎ去ろうとしています。