私の職場では、職員の親族の通夜や告別式をお知らせする
「回章」というものが庁内LANで回覧されます。
最近、その回章を読んで気づくのは、
「家族葬を執り行うので会葬や香典を辞退します」
という事例が多くなったということです。
ところが、日経新聞電子版に掲載された
「一条真也の人生の修め方」というコラムを読んで、
最近は、家族葬を通り越して、通夜も告別式も行わずに、
遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」や、それをさらに進め、
遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てる「0葬」があることを知りました。
う~む…。「葬儀をしない」という選択肢があることに、正直驚いてしまいます。
少子化が急速に進展し、家族そのものの存在が希薄化するなか、
このような手法が、これからの時代、主流になっていくのかもしれません。
しかし、一条さんは、葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は、
「直葬」や「0葬」は危険な思想をはらんでいると指摘されています。
そして、有限の存在である「人」は、
葬儀によって無限の存在である「仏」となること、
葬儀とは「不死」のセレモニーであり、人は永遠に生きるために葬儀を行うのだと、
その意義を述べられています。
冠婚葬祭チェーンの社長さんであることを割り引いても、
一条さんが述べられていることには説得力があり、
死者を弔うことは「人の道」であると、私もそう思います。
ただ、よくよく考えてみるに、
亡くなった本人にとっては、弔い方を知るすべがありません。
人が「永遠に生きること」も「人任せ」であることに気づきますが、
そうはいっても、なんとか無事に成仏をさせてもらいたいものです。