関西在住の高校の同級生が、法事のために帰県したのを契機に、
今月7日の日曜日に、地元在住の4人が集まり、昼食を共にしました。
仲が良かった同級生5人が揃うのは随分と久しぶりのことです。
お昼の12時30分に集合して、解散したのは午後4時30分でした。
なんと、4時間も会話をしていたことになりますが、
時間はあっという間に過ぎてしまったような感じがします。
昔話に花が咲くなかで、誰ともなく
昭和60年1月30日に交通事故で亡くなった
級友(M.Y君)の話題になりました。
その級友は、同日の早朝、宇和島方面へ通勤する途中、
宇和町(現在の西予市)の路面凍結した国道でスリップ事故を起こし、
対向車のトラックと正面衝突しました。
同日のお昼のニュースで事故を知った私たち…。
このうち、当時、県内に在住していた3人が、級友の通夜に駆けつけました。
級友のお母さんはすでにこの世になく、
遺されたお父さんが級友のお兄さんとともに、
冷たくなった遺体の前で悔しがっていた姿を、
今でも昨日のことのように覚えています。
先日のこの日記に、
「しんがり~山一証券 最後の12人」という本にあった
次の言葉を書き残しました。
『人はいつか死んでいく。だが死別はすべての喪失を意味するわけではない。
その人を記憶する者がいる限り、他人の心の中で生きることができる。
悼む人の存在は命を超えて、亡くなった人を生かし続ける。』
同級生はお互い還暦も過ぎ、青春の記憶も年とともに薄れていきます。
しかし、私たち5人の心の中では、
級友はあの頃の笑顔のままで今も生き続け、
あの頃の笑顔が私たちをこれからも生かし続けます。