しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

愛媛にある句碑のPR

今月16日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」では、

哲学者の鷲田清一さんが、愛媛松山が生んだ俳人正岡子規

「病牀六尺」にある次の言葉を紹介されていました。

『悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた。』

 

この言葉について、鷲田さんの解説が次のように続きます。

俳人にとって悟りとはいつでも平気で死ねることではなく、

 生をひたすら愛(め)でることであった。

 激痛にのたうちまわるなかでも、弟子たちを頻繁に迎えた。

 薬や麻痺(まひ)剤を服用する一方で、

 パン、スープ、鶏卵、刺し身、焼き物、飯と三食しっかり食べ、

 間に牛乳や菓子パンも。

 死の直前まで床で画譜画帖(がじょう)を楽しみ、絵筆をとり、

 料理や社会情勢・教育を論じた。』

 

せっかく鷲田さんが子規のことを取り上げていただいたので、

愛媛県に存在する子規の句碑のいくつかを紹介したいと思います。

出典は『吟行ナビえひめ』というサイトです。

 

「賽銭のひゞきに落る椿か奈」(松山市椿神社)

「南無大師石手の寺よ稲の花」(松山市石手寺参道)

「春や昔十五万石の城下哉」(松山市・JR駅前)

「牛行くや毘沙門阪の秋の暮」(松山市・東雲神社前三叉路)

「松山や秋より高き天主閣」(松山市松山城長者ヶ平)

 

いずれの句碑も、よほど注意して歩かないと通り過ぎてしまいそうです。

これらの句碑のほか、先ほどのサイトでは、

県内にある子規の句碑が、全部で126余り紹介されていますので、

ぜひ一度ご覧ください。

 

そうそう、そういえば、野球をこよなく愛した子規の

「草茂みベースボールの道白し」という句碑が、

松山市の「坊ちゃんスタジアム」にあります。

 

また、野球といえば、

昨年は、子規ゆかりの県立松山東高校が選抜高校野球で活躍しましたが、

残念ながら今年は、愛媛県の高校は出場できませんでした。

子規もさぞかし悔しがっていると思います。