昨日は、新しい職場の歓迎会でした。
今度の職場は、営業の方をはじめとして、勤務時間が多様なので、
懇親会の開始時間は午後7時、終了したのは午後10時過ぎでした。
なにかにつけて、戸惑うことばかりです……。
さて、今日7日の日経新聞電子版に掲載された稲森和夫・京セラ名誉会長の
『敬天愛人~挫折乗り越え夢追う』というコラムのなかに、
次のような心に染みる言葉がありました。
『挫折続きのままならない人生。
それでもひがまず、ひねくれずにきたのは、
その都度、どこからか「神の手」が現れ、私を支えてくれたからだ。
そうとしか思えないような人との出会いがあり、
親子でも及ばぬような温情にあずかった。
結核で寝たり起きたりの私に代わって、
願書を届け入試に付き添ってくれた小学校の先生。
「いいかげんに働け」という親を説得し、
一時は断念した大学への夢を実現させてくれた高校の先生。』
『期待にこたえるには会社を立派にするしかない、
それも世のため人のためになる会社を目指そうと、
自らを狂の世界に追い込むまで研究に没頭した。
才能に乏しくても熱意があれば人に伍(ご)していけるはずだ。
しかし、それ以上に大切なものがある。心の様相だ。
心が呼ばないものが自分に近づいてくることはない。
人生は心に描いた通りになる。ひたすらそう考えてきた。』
う~む、やはり稲盛会長のお言葉には重みがあります。
この言葉のなかでも、私にとっての「キーワード」は、
「神の手」と「心の様相」です。
「神の手」については、稲森会長の『持てる力をすべて出したとき神が現れる』
という名言があったと思います。
「心の様相」については、サミエル・ウルマンの「青春」という詩の中にある
『青春とは人生の或る期間を言うのではなく、「心の様相」をいうのだ。』
を思い出しました。
曰く、「優れた創造力」、「逞しき意志」、「炎ゆる情熱」、
「怯懦をしりぞける勇猛心」、「安易を振り捨てる冒険心」………。
新しい職場で悪戦苦闘している私にとっては、どちらも励ましの言葉に聞こえます。