今日22日の日経新聞「春秋」にあった次の文章を読んで、目頭が熱くなりました。
『熊本市東区にある小学校に避難した高齢の男性は、
体育館で寝起きする子どもたちがおとなしくしている様子が気になったという。
だだをこね、泣き叫ぶような姿を見かけない。
子ども心に緊急事態であることを理解し、
必死で「いい子」になろうとしているのではないか。
そう思うと、胸がしめつけられるようだと話す。
70代の女性は避難所のトイレの前で、男の子に会った。
小学3年生ぐらいだろうか。両手でヤカンを持っている。
何をしているのか尋ねると
「避難している人に手を洗ってもらおうと思って」との答え。
「こんな小さな子が皆の役に立とうと精いっぱい頑張っている……」。
水をかけてもらいながら、涙がこぼれたという。』
また一方、今日の愛媛新聞には、
ボランティアの受付が始まったという記事が掲載されていました。
記事には、社会福祉協議会のスタッフから説明を受ける
ボランティアの人達の写真も一緒に掲載されていましたが、
若者の真剣なまなざしが強烈に印象に残りました。
その眼はしっかりと前を見据えていて、
これから待ち受ける困難な作業に、敢然と立ち向かおうとする決意と覚悟が、
この私にも十分に伝わってきました。
先ほどの日経新聞「春秋」の続きです。
『見渡せば、「ヤカンを持った人」はあちこちにいる。
被災した若者が見ず知らずのお年寄りの世話を焼く。
避難所の仲間たちで食材を持ち寄り、炊き出しをしてふるまう。
ボランティアの受け付けも始まった。
救援物資が行き届かないなど課題は山のようにあるけれど、
地域や社会で支え合う力は、確実に強くなっている。』
久しぶりに深代惇郎さんが書いたようなコラムに出会いました。
かくいう私は、どんな「ヤカン」を持てばいいのか?
自らに問いかけている自分がいます……。