昨日5日は「こどもの日」で、二十四節気の「立夏」でもありました。
暦の上だけでなく、実際に汗ばむような陽気となりました。
つい先日芽吹いたような気がした木々の若葉も、
今ではしっかりとその緑色が濃くなっています。
さて、この三連休、私はお休みではありませんでした。
ゴールデンウイーク中の祝日に仕事をしたのは、随分と久しぶりのような気がします。
世間一般の人が休暇を楽しんでいる時に、
仕事をしているということは、本人にとって精神衛生上あまりよくないことが、
今回よく分かりました。今までが恵まれていたのかもしれませんが……。
ところで、日経新聞電子版「定年退職の扉」では、
経済コラムニストの大江英樹さんが、
『やりがいを考えれば転職もいい』というタイトルのコラムのなかで、
次のようなことを書かれていました。
『 ~(略)~多くの人は定年後の転職なんて無理だと思っているかもしれません。
しかし、昔はごく普通のことでした。
私が会社に入った1970年代は多くの企業で定年は55歳でした。
ところが年金をもらい始める年齢は60歳でしたから、
定年を迎えた後、第二の職場で5年か10年働いて
年金をもらうというパターンが一般的だったのです。
かつて私の先輩や父親もみんなそうでした。
しかしながら第二の職場を
元の会社が用意してくれるということはあまりありません。
みんな自分の現役時代の取引先など個人的なツテを利用して
第二の職場を探して転職したのです。』
はぃ、そういえば確かに、私が就職した頃は、諸先輩方の定年は55歳でした。
ただ、当時の55歳の方々は失礼ながら、
今と比べると随分と老けていたような気がします。
そして、先ほどのコラムは次のように続きます。
『1986年に「高年齢者雇用安定法」という法律ができたことで
59歳以下の定年が法律で禁止されました。
これによって60歳の定年と同時に年金がもらえることになったのです。
このため、多くのサラリーマンは定年後に再就職はせず、
そのまま年金暮らしに入りました。
その後、年金支給開始年齢を65歳にする年金制度の改定が行われると、
今度は60歳の定年後に「空白の5年間」が再び生じます。
そこで今度は2012年に「高齢法」が改正され、
希望すれば65歳までの継続雇用が保証されるようになった経緯があります。』
う~ん、なるほど……。高年齢者雇用の経緯がよく分かります。
ということで、私もまさに今、「空白の5年間」の初年にいるわけです。
それにしても、定年と同時に年金がもらえた「幸運な世代」もあったのですね。
個人的にはうらやましいと思う気持ちもありますが、
日本社会にとっては、経験豊富な人材が定年後に活躍する機会がなかったわけで、
なんだか「もったいなかった」気がします。
私の場合は、「空白の5年間」、
頑張って働けるだけの気力と体力を維持できるかどうかが問題です。