昨日9日の産経新聞「正論」に、
「かんべえ」さんこと、吉崎達彦・双日総合研究所チーフエコノミストが、
『時代遅れのGDPにこだわるな~目先の数値に踊らされるのは愚の骨頂だ』という、
ちょっと過激なタイトルの論評を寄稿されていました。
そのタイトルから「かんべえ」さんの、およその主張が想像できましたが、
例えば、次のようなことを書かれていました。
『GDP(国内総生産)という指標は、
経済活動によってもたらされる年間の付加価値の総計を示している。
ところがこの数値にはさまざまな限界がある。
端的に言えば、おカネに換算できることしかカウントしない。』
『思うにGDPという尺度は、一人あたりが1万5千ドルくらいまでは
有効な指標であるけれども、3万ドルを超えたあたりから機能しにくくなる。
3万ドルを超 えて先進国になってくると、
それぞれの国が目指す「豊かさ」は一様ではなくなる。
あくまでも所得の増大を目指すのか、生活の質を求めるのか、
あるいは環境との調和や選択の自由を求めるべきなのか。
正解があるわけではないのである。』
ちなみに、「かんべえ」さんの解説によると、
ウィキペディアを読み、ユーチューブを見て、
グーグルで検索するような今日的行為は、
基本的にタダだからGDPにはカウントされないし、
炊事洗濯などの家事労働は無料だからGDPには算入されないとのことでした。
う~む、なるほど…。そんなものなのですか…。
休日の私の献身的な家事労働がGDPに反映されていないのは、
ちょっぴり残念に思います。
そして、この「GDP」に関しては、今日10日の日経新聞「私見卓見」欄で、
小林喜光・三菱ケミカルHD会長も、『GDPと異なる「経済のモノサシ」を』
というタイトルのコラムを寄稿されていました。
『GDPはもともと戦時の資材調達から生まれた概念だ。
モノを基準に測るため、インターネットの世界を捉え切れていない懸念がある。』
『GDP統計には、単身世帯の扱い方など時代の流れに応じた調査の対象が
適切かどうかという疑問もある。
新たに生まれる価値を捕捉するために、GDPだけに頼らず、
そろそろ、多角的な視点から新たな経済のモノサシを作ってはどうだろうか。』
う~む、単なる偶然でしょうか?
紙面は異なっていても、GDPという経済統計は、
時代の変化に合わせて見直す必要があるというお二人の主張は
ほとんど同じように思います。
でも、そうはいうものの、
新しい「経済のモノサシ」って簡単にできるものなのでしょうか?
その新しい「経済のモノサシ」で図ると、再び日本は中国を抜いて、
世界第二位の「経済大国」に復活できるのだったらいいのだけど……。