この一週間、孫娘の体調が悪く、ちょっと心配しました。
アレルギーなのかどうか分かりませんが、目の周りが腫れて真っ赤になり、
鼻水や鼻詰まりの症状もありました。今日になってようやく快方に向かっています。
さて、今月16日の朝日新聞「耕論」は、
『舛添さんだけが悪いのか』というタイトルでした。
次のような問い掛けに、3人の有識者の方がそれぞれの自説を述べられていました。
『舛添要一都知事が、辞表提出に追い込まれた。
本人の公私混同の責任は重いが、支えてきた与党が手のひらを返し、
メディアの集中砲火に追い打ちをかけた。舛添氏だけの問題なのか。』
3人のなかでは、ジャーナリストの江川紹子さんの御指摘が大変参考になりました。
まず一つ目は、マスコミについて。
・正義感ぶって一斉にたたきまくるのは、芸能人の不倫報道と同じレベル。
・「東京」都知事のことを連日トップニュースで全国津々浦々に伝えた。
そんな必要はあるのか。マスメディアの東京中心主義、極まれり。
・舛添都政を冷静に点検し、
辞職のメリット、デメリットを解説するようなメディアがない。
・権力監視というメディアの役割が果たせていない。
次は、都議会について。
・与党は問題がここまでこじれる前に、「これはまずい」と
知事にきちんと申入れをすべきであったし、
野党はこの問題を掘り起こして追求できなかった。
・不信任案が可決されて知事が都議会を解散すれば、
選挙戦で議員たちは知事の問題で何をやったか、
説明せざるを得なくなったが、その機会はなくなった。
う~む、なるほど…。言われてみればそのとおりですよね。
こういう視点に考えが及ばなかったことに、自分自身、反省しきりです。
日本の首都・東京のトップに注目が集まるのは至極当然のように思いますが、
問題なのは、その「選ばれ方」なのかもしれません。
なにせ、都知事に当選するためには数百万票を獲得する必要があり、
タレント性が候補者としての不可欠の要素になるのも、
現状の諸制度の下ではやむを得ないような気がします。
まぁ、超大国の米国でさえ、あのトランプさんが大統領候補者になるのですから…。
トップの選び方には正解がないのかもしれません。