久しぶりに「経済学」に関する日記を書きます。
今日13日の日経新聞「大機小機」は、『経済学の埋めがたい溝』というテーマで、
名目国内総生産(GDP)成長率と税収の伸びの相関を示し、
財政の将来像を論じるのに重要な「税収弾性値」のことが取り上げられていました。
コラムによると、日本経済の成長力と税収弾性値は長い目で見てどの程度か、
共通認識をつくることが経済学者の腕の見せどころなのに、
政策提言力のある学者として著名な、
吉川洋立正大学教授と竹中平蔵東洋大学教授の認識には隔たりがあるとのことでした。
具体的には、吉川教授は弾性値1、
すなわち長期的には名目成長率と税収の伸びは同じようなものだと主張し、
竹中教授は弾性値は3~4で、
成長率が1%なら税収は3%ぐらい伸びるという主張のようで、
お互いの認識には随分と開きがあります。
う~む、私にはよく分かりませんが、
弾性値が高ければ経済成長に比べ税収が増えやすくなり、
増税の必要性が薄れるということは理解できます。
コラムでは、『政策判断に至る前の分析手法の段階で
専門家の合意が成立しない経済学を国民は信用するだろうか。』
という鋭い指摘がありました。確かにおっしゃるとおりだと思います。
ところで、吉川教授と竹中教授といえば
経済財政諮問会議の場で論争があったことを思い出します。
プライマリーバランスに関し、長期金利と成長率はどちらが高いかについて、
当時の竹中大臣がマンキューの論文を持ち出したところ、
これまた当時の小泉総理が、
『マンキューだかサンキューだか知らないが、学者の論争はいらない。』
と言ったことを議事録で読んだことがあります。
この時の小泉総理の発言の趣旨については、
「学者論争が要らないのではなくて、
そこが基にならないとあとの設計ができないというで、どちらが正しいかは別だ」
という解説がネットで調べるとありました。
政策論争などをするうえでの前提として、
経済データに対する関係者の認識の一致が必要であることが、
今日のコラムを読んで理解できました。
さて、今日は仕事から帰宅後に、麻がらを燃やして先祖の霊をお迎えしました。
今年も、私が送り火をしているところを孫娘に見せることができました。
年中行事が、こうして世代を越えて確実に伝わっていく事を切に願っています。