いゃあ~、驚きました……。
今日13日の朝日新聞「折々のことば」で
財政学者の井手英策教授の言葉が紹介されていたことへの感想です。
まさか、財政学の教授の言葉が、鷲田さんのコラムに登場するとは思いませんでした。
鷲田さんの「間口の広さ」というか、「知見・関心の奥深さ」に
正直びっくりしてしまいます。
どうしたら真の「ことば」というものを探すことができるのでしょう…?
さて、肝心の井手教授の「ことば」と鷲田さんの解説は、次のような内容でした。
『自分が自分の生き方を決められてはじめて、
ほかの誰かが自由を持てないことへの怒りもこみあげてくるのではないか』
(井手英策)
『格差が広がり人々が分断されるなか、保育や教育、介護や介助、医療など、
人が「まわりの人に優しくいられる」条件そのものが
損なわれてきたのが現在の社会だと財政学者は言う。
だからまずは各人の自由を守る条件、
つまりは「がんばるための土台」をみなの税で支え、
整えることから始めるべきだと。「18歳からの格差論」から。』(鷲田清一)
鷲田さんの解説にある井手教授の本は、私はまだ読んでいませんが、
井手教授が神野直彦教授と一緒に編集された
『希望の構想~分権・社会保障・財政改革のトータルプラン』という本を
数年前に読んだことがあります。
今日、本棚からその本を取り出してページをめくると、
「あとがき」で神野直彦教授が次のようなことを書かれていました。
『これほどまでに豊かな社会だと自慢されているのに、
これほどまでに悲惨な生活が溢れている社会はない。
これほどまでに平和な時代だと吹聴されながら、
これほどまでに残酷な暴力が君臨している時代もない。
こうした状況に為政者は責任感もなく、罪の意識すらない。
しかし、財政学を学ぶ者たちはこの状況に責任を感じざるを得ない。
少なくともこの状況を阻止できなかった以上、
共犯者であることは間違いないからである。
こうした状況への責任感から本書はまとめ上げられている。
財政学の視座からすれば、この社会的災禍を市場に任せれば解決できるなどと、
無責任な言辞を弄するわけにはいかないからである。』
きっと、鷲田さんは、神野教授のこのような「思想」を
井手教授の冒頭の「ことば」から敏感に感じ取られたのではないかと、
私は勝手に想像しています。