今朝、仕事の出勤前に、リオ・パラリンピックの
競泳男子100メートル決勝戦をテレビで観ました。
その決勝戦では、木村敬一選手が
今大会2個目のメダルとなる銅メダルを獲得しました。
立派な成績に頭が下がる思いです。
木村選手に限らず、各国の選手は、
視覚に障害のあることを全く感じさせない、力強く、躍動感溢れる泳ぎでした。
一つだけ違っていることを挙げれば、ロープに接触する選手がいたことで、
真っすぐに泳ぐことがいかに困難かということが、この私にも理解できました。
そして、テレビを観ながら、私は「何とも表現できない感情」を抱きました。
それは、この競泳競技だけでなく、身体になんらかの障害を持った方が、
世界の強豪を相手に挑戦するという姿勢と気持ちを、
いつ、どのようにして得ることができたのかという疑問のほか、
パラリンピックのアスリートにあって、
私に欠けているものは何なのかという疑問……。
「強靭な肉体」は別として、「崇高な精神」なのか、「不屈の魂」なのか、
「志の高さ」なのか、それとも……。???
その欠けているものが「言葉」として表現できない「まどろこしさ」こそが、
「何とも言えない感情」の正体であったように思います。
リオ・パラリンピックに出場するまでの、各選手の困難な道程に思いを馳せる時、
些細なことで日々悩んでいる自分が、とてもちっぽけな存在に思えてきました。