Kちゃん、久しぶりのコメントをありがとうございます。
ご指摘のとおり、昨日の「汚名挽回」の使い方は間違っていますよね…。(反省)
いずれにしても、ICTの日進月歩の世界には、
還暦青年(?)はついていくことができません。(笑)
さて、ここからはいつもの日記です。
岡本全勝・福島復興再生総局事務局長のHPで、
今月9日付けの朝日新聞オピニオン欄に掲載された、
戦場の心理学の専門家、デーブ・グロスマンさんへのインタビュー記事
「戦場に立つということ」にリンクが張られていたので、
私もさっそく読んでみることにしました。
岡本局長がHPで紹介されているインタビュー記事の内容は別にして、
私が特に印象に残ったのは、次のようなQ&Aでした。
Q 防衛のために戦う場合と、他国に出て戦う場合とでは、
兵士の心理も違うと思うのですが。
A その通り。第2次大戦中、カナダは 国内には徴兵した兵士を展開し、
海外には志願兵を送りました。
成熟した志願兵なら、たとえ戦場体験が衝撃的なものであったとしても、
帰還後に社会から称賛されたりすれば、さほど心の負担にはならない。
もし日本が自衛隊を海外に送るなら、望んだもののみを送るべきだし、
望まないものは名誉をもって抜ける選択肢が与えられるべきです。
ただ、21世紀はテロリストとの非対称的な戦争の時代です。
国と国が戦った20世紀とは違う。
もしも彼らが核を入手したら、すぐに使うでしょう。
いま国を守るとは、自国に要塞(ようさい)を築き、
攻撃を受けて初めて反撃することではない。
こちらから敵の拠点をたたき、打ち負かす必要がある。これが世界の現実です
Q でも日本は米国のような軍事大国と違って、
戦後ずっと専守防衛でやってきた平和国家です。
A 我々もベトナム戦争で学んだことがあります。
世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。
国防長官の名から、ワインバーガー・ドクトリンと呼ばれている。
国家が国民に戦えと命じるとき、
その戦争について世論が大きく分裂していないこと。
もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。
これが最低限の条件だといえるでしょう
う~む……、なるほど。
私たちが生きている21世紀は、「非対称な戦争の時代」なのですね。
テロリストに核が渡らないようにすることがいかに大切なのかが理解できました。
ただ、日本のお隣、某国の最高指導者は、既に核を手に入れているようだけど、
国際社会は「その拠点を打ち負かすこと」どころか、
有効な制裁さえ科すことができないでいます。(怒)
いずれにしても、自国の国民が「戦場に立つ」ことのない世界が、
今世紀中に実現できれば…と切に願いたいです。