しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

コラムニストの競演

昨日15日の全国新聞の一面コラムは、予想どおり

ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランさんに関する記事でした。

今日、町立図書館に本を返却しに行った際、新聞コーナーで読み比べてみました。

そして、各紙のコラムのうち、私のお気に入りの文章を、

次のとおり抜き出してみました。

 

〇読売新聞「編集手帳

 歌人島田修三さんに一首がある。

 〈さかしまに歳月ゆたかなボブ・ディラン聴きて呆けた俺とはなんだ〉

 (歌集「晴朗悲劇集」) 歳月が逆さまに流れてほしい、と。

 下宿の三畳間。夜更けの公園。学生街の喫茶店…。

 「あの頃の私は何だったのか?」という問いを胸に抱いて、

 きのうは遠い日の自分を訪ねて心の旅にでかけた人もあったろう。

 ♪ その答えは友よ、風に舞っている

 

毎日新聞「余録」

 そのころ仲間とビールを飲みながらの演奏の後、

 家に帰って一気に書き上げたのが「風に吹かれて」だったといわれる。

 60年代を知る人なら、そのくり返される静かな問いかけが

 の価値観を否を突きつける世界的激動の背後に

 常に流れていたのを耳にしていよう。

 

朝日新聞天声人語

 反戦や反権力の歌で知られるが、それは彼の一部である。

 ある歌のことを「霊が書いたような感じだ……

 霊がぼくを選んであの歌を書かせた」と語ったことがある。

 愛を歌い、神への気持ちを歌った。

 子どものころディランの1枚のアルバムを、繰り返し聴いたことがある。

 わずか数分の歌がこれほど、心に響く物語を紡げる。

 それを教えてくれたのが彼だった。今もう一度、彼の言葉に浸ってみたい。

 

日経新聞「春秋」

 楽曲から詞だけを取り出して文学賞を贈るのなら映画の脚本も対象になる。

 歌舞伎だって落語だって立派な言語表現だ。

 などとあちこちでにぎやかなことだが、肝心のご本人は黙して語らず、

 それも相変わらずカッコいい。

 一昨夜から何度も「ノーベル賞作家ディラン」のしゃがれ声を聞き、

 違和感を楽しむばかりである。

 

う~む、それぞれ味のあるコラムだけれど、

やっぱりこの中では、私的には

『遠い日の自分を訪ねて心の旅にでかける』という

編集手帳」の文章表現に軍配をあげたいと思います。

まぁ、それにしても、各コラムニストの言葉の「引き出し」に感服します。

文章が上手な人がうらやましい限りです……。