『分断社会・日本~なぜ私たちは引き裂かれるのか』
(岩波ブックレット:井手英策、松沢裕作編)を読了しました。
本書は三つの章から構成されていて、
第二章「分断線の諸相」に掲載された五つの論文が、それぞれ読み応えがありました。
それにもまして、第一章「分断社会の原風景」のなかの、
次のような文章が、読後に強く印象に残りました。
・当然のことながら、市場経済社会において、
努力したにもかかわらず失敗する人間は、常に存在する。
しかし、通俗道徳、すなわち、「勤勉に働き、倹約に努め、
努力するものは成功する」というイデオロギーを前提とすると、
経済的な失敗者は、そのまま通俗道徳の実践が不十分ではなかったとみなされる。
通俗道徳的イデオロギーのもとでは、経済的な失敗者は、
そのまま道徳的な敗北者なのである。
・いまの日本社会は、通俗道徳の実践にエネルギーを費やした、
多くの失敗者で溢れている。過酷な競争社会に疲れ、
就労の苦痛のなかで日々の生活に耐えるひとびとは、
働かずに収入を得る生活保護受給者を非難する。
没落の危機に怯える中間層を含め、生活に不安を覚えるひとびと、
政治やマスメディアに利害を代弁してもらえないことに不満を持つひとびとは、
反知性主義的な言説を支持し、急速に排外主義化した。
・いまや、メディアを覆い尽くすのは、
自分よりも弱いものを叩きのめす「袋叩きの政治」であり、
強者への嫉妬、「ルサンチマン」である。
そして、社会的な価値の共有の難しさが連帯の危機を生み、
地方誘導型の利益配分も機能不全に陥るなか、
不可避的に強められるしかない租税抵抗が、財政危機からの脱出を困難にしている。
・わたしたちは、新しい秩序や価値を創造し、
痛みや喜びを共有することを促すような仕組みを作りだすことができるだろうか。
あるいは、経済的失敗が道徳的失敗と直結する社会を維持し、
叶わぬ成長を追いもとめては、
失敗者を断罪する社会をふたたび強化するのだろうか。
明治維新から約150。これからの150年のあり方がいま問われている。
う~む……、驚きました。
こうして改めて日記に書き残してみると、日本の「通俗道徳的イデオロギー」を、
そのまま米国大統領選の「トランプ現象」が説明できそうではありませんか…。
ちなみに、本書の第三章「想像力を取り戻すための再定義を」では、
次のようなことが書かれていました。
『 ~(略)~ だが、ハッキリしていることは、排外主義問題であれ、
所得格差であれ、財政再建問題であれ、弱者と弱者の間にくさびを打ち込み、
そのことで既得権益を正当化するようなかたちでの再定義は、
絶対に阻止しなければならない、ということである。
私たちの社会が他者への想像力をなくし、価値を分かち合えなくなったとき、
社会は人間の群れとなる。そして、そのような群れが、妬みを動機として、
他者を引きずりおろし、溜飲を下げる人びとから成り立つとき、
私たちの生きる時代は「獣の世」となるだろう。』
日本も米国も、「分断を超える突破口」を見出すことはできるのでしょうか?
今、「民主主義」と「資本主義」が改めて試されているような気がします。
分断社会・日本――なぜ私たちは引き裂かれるのか (岩波ブックレット)
- 作者: 井手英策,松沢裕作
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2016/06/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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