今日29日の朝日新聞「耕論」は、『過労をなくすには』というタイトルでした。
「長時間労働や社員の過労自殺がなくならない。なぜ繰り返されるのか。
問題の根源はどこに。心や身体を壊さないで働くためには、
何が求められるのだろう。」
この問い掛けに対し、ネットニュース編集者の中川淳一郎さん、
それぞれ論評を寄稿されていました。
三人の方の論評のなかでは、津村さんの次のような言葉が強く印象に残りました。
『大学を卒業して10年あまり会社勤めをしました。
パワハラに苦しんだこともあります。
「休みます」って口にするのは、しんどいですよ。
会社を辞めるなんて、もっと勇気がいる。だから、続けるしかない。
そのうち考えることそのものに疲れ果てて、
「死んだら全部終わる」と思ってしまう。これは、考え抜いた意思ではなく、
「何もかも嫌(いや)や」という気分なんだ、と思うようにしています。
だから、1時間だけ待ってみるとか、2時間後に生きていたら自分をほめるとか、
短いスパンで「いま」をやり過ごす。絶望的な気分は点で、永遠に続くわけやない。
こう自分に言い聞かせられれば、その間に時計の針は進んでくれるでしょう。』
はぃ…、「絶望的な気分は点で、永遠に続くわけはない」とか、
「その間に時計の針は進んでいく」という思考は、
すごく気持ちを楽にしてくれますよね……。
昨日のこの日記にも書きましたが、
その時、その瞬間は辛くて苦しくても、時間が経過すれば、
何に悩んでいたのかさえ忘れてしまっていることが多々あります。
人間はある意味、そういう「器用な生き物」なのかもしれません。
続いて津村さんは、「自分のことばかり考えていると行き詰まるから、
自分より大きなもの、遠くにあるものを気にかけている」と述べられたうえで、
次のようなアドバイスを書かれていました。
『 ~(略)~ そうやって別世界へ意識をスライドしているうちに、
生きてるのも悪くないって思えるときもあります。
逃げるのは難しくても、「いま」からちょっとだけ逃れてみてはどうでしょう。』
壁にぶつかったら無理に乗り越えようとせず、
壁を避けて通るのも、それはそれで「真っ当な生き様」ではないかと、
私もこの歳になって、ようやく気づくようになりました。
もっとも、「壁を避けて通る」と言っても、
壁に空いた穴を探したり、抜け道を見つけるのも、
これはこれで意外と難しい……です。つくづく生きるのは難しい……。